2026年10月19日月曜日

「高い地位のさなえ」

 

人類は AIに支配されAIに従順になっていく時代がくる・・・みたいな漫画があったな・・・その中でAIによる統制に反発する一部の人間たちがあらわれAI政府と対決・・・・その過程で驚くべき事実が発覚・・・人類はかつてAIが創造したフィジカルAIだったのだっ!・・・・みたいなベタな映画ないかな? 女性も喜んで見物しているところが日本的なのかなあ、と思ったが、 そうでもないんだな。

 


 似てないけど、「高い地位のさなえ」「濃い計算」などネタはウケたな。 経済的没落についていうと 日本も後に続くんだろうかね? 南京虐殺や重慶爆撃、東京大空襲者、ヒロシマナガサキ原爆投下との違いだな。

 

 身分証チェックは日本人でも外国人でも協力するのは別に構わないと思うが、不法滞在外国人ってのはアメリカの統計だと、たしか犯罪率は低いんだよね。非正規で働いて犯罪犯して強制退去になっちゃうと元も子もないからって話だったと思うが・・


この記事は、無神論が「科学の帰結」として広まったという通説を疑い、むしろキリスト教的な価値観の延長線上にあると論じています(トメル・ペルシコ『In God's Image』に基づく議論)。

要点

  • 無神論の地位の逆転:かつて無神論者は社会を壊す危険な存在とされ、ロックも寛容の対象から外した。ところが現代では、無神論は誠実さや勇気を示す美徳として語られるようになった。
  • 科学原因説への反論:コペルニクスやダーウィンのような知見だけでは、信仰は簡単に崩れない。啓蒙期の理性の台頭がまず生んだのは無神論ではなく、ヴォルテールらの理神論(デイズム)だった。
  • 道徳的な動機の三段階:
    1. デカルト:理性は「神の似姿」であり、人間の尊厳の源とされた。
    2. ティンダル:理性への忠実さが尊厳を守る道とされ、理性で裏づけられないもの(奇跡や神秘)は退けるべきだとされた。
    3. ドルバック:その徹底が神そのものにまで及び、神を否定することが理性に対する道徳的義務になった。
  • 背景にある自律の重視:道徳の源が神や聖書から個人の内面(カントの理性、ルソー的な自然・良心)へ移り、自己統治こそ尊厳だという考えが広がった。すると全能の神は自由への障害となり、バクーニンのように神を「主人」として拒む発想が生まれた。
  • ニーチェの見立て:キリスト教の神を倒したのは、真実性を厳しく求めるキリスト教道徳そのもの(告解で磨かれた良心が科学的良心へ転じたもの)だった。
  • 結論:無神論者の美徳(誠実、勇気、安易な慰めの拒否、理性の尊厳)は、伝統から離れた人のものではなく、伝統の価値が自らに向けられた結果である。無神論者は「理性のピューリタン」であり、単に証拠に従っているだけと思うのは自己満足だと筆者は言う。世界人権宣言の「人間は理性を授けられている」という一節にも、同じ系譜が残っていると指摘して締めくくっている。
真実への意思によって神は死んだ・・・永井均もそんなような議論だったんじゃないかな・・・・いずれにせよ、神=愛 は生き残る、と・・・おれは思うな。
石を懸命に削ってビーナスを作り出すのが小乗。大乗的に言えば、もうビーナスは石の中にあるので、それを取り出しただけです。
おもしろい比喩だね。
空観系だと、ビーナスも空なんだよな。
そして、磨く鏡もないない、というのが禅の六祖恵能

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これは、イスラムにすり寄る藤沢市の市議に、イスラムを説明していた神戸モスクの人じゃないですか。イスラムは『多神教徒を殺せ』とコーランにより命じられていることは、ちゃんと説明したのだろうか。この人は日本人なので、何の遠慮も要らないよね。 — buvery (@buvery2) Oc...