この投稿について、「セックスワークの最大の問題は売る方でも買う方でもなく、「売らせる方」や「買わせる方」が存在すること。 それを仕事内容だけ一般化して合法化したのが派遣や紹介業。」というコメントが付いた。が、意味内容不明なのと、労働者派遣法などの制定前史や経緯などはまったく違う。 https://t.co/WaaCJdR8J5
— 河添 誠 KAWAZOE Makoto (@kawazoemakoto) September 13, 2026
いやー。勉強になった。圧倒的な説得力。決定版だな。刑法研究ってすごいな。超超超おすすめ。 https://t.co/qC8arsjc7N
— 河添 誠 KAWAZOE Makoto (@kawazoemakoto) September 13, 2026
ニュージーランド・モデルと北欧モデルは、ともに性労働者の人権や安全の保護を目指しているものの、性売買の捉え方や性労働者に認められる**「法的権利」の性質において根本的な違い**があります。
まとめ(権利の違いの対比)
項目 ニュージーランド・モデル 北欧モデル 性労働者の位置づけ 法的保護を受ける**「労働者(事業者)」** 構造的搾取の**「被害者」** 認められる法的権利 労働法・健康安全法の適用、拒否権、避妊具要求権 刑事罰の免除(非犯罪化)のみで労働権は不適用 安全網・警察との関係 警察や司法、医療へ対等に通報・アクセス可能 取引の地下化により警察の保護から遠ざかるリスク ニュージーランドでは**「自己決定権と労働権を持つ主体の権利」として性労働者の安全を法的に直接保護するのに対し、北欧モデルでは「搾取から救済されるべき被害者の保護」**を軸としつつも、需要側の犯罪化が結果として当事者の交渉力や安全確認の機会を削ぐという違いがあります。
自分
資料では、性を売る(買売春)行為が「個人の尊厳を侵しているか」という問いに対して、対立する視点が存在し、国際的にも議論が分かれていることが示されています。
1. 「尊厳を侵している」とする立場(廃止論・北欧モデル)
この立場(フェミニスト・アボリショニズムや急進的フェミニズム)では、性を売る行為は個人の尊厳を根本から侵害する構造的な暴力・搾取であると捉えます。
- 「性=人格論」とモノ化:性は人格の核心と不可分であり、労働力やサービスのように身体から切り離して商品化することはできないとみなします。性を金銭で取引することは、相手の主体性を排して「モノ(対象)」として扱う行為とされます。
- 構造的暴力と不平等:金銭的優位を利用して他者を自己の支配下に置く行為であり、当事者に合意があったとしても、女性や弱者に対する搾取にあたると主張されます。日本の売春防止法第1条も「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反する」と明記しています。
2. 「一時的なサービス(労働)であり直ちに尊厳を侵すわけではない」とする立場(非犯罪化・ニュージーランド・モデル)
この立場では、成人間の合意に基づく性売買を道徳や暴力の文脈ではなく、「労働(セックスワーク)」の枠組みで捉えます。
- 身体的性質の差異:マッサージや介護などの肉体労働と同様に、自らの時間や身体的機能を一時的な「サービス」として他者に提供する行為であり、臓器売買のような不可逆的な身体組織の切り売りや健康破壊とは決定的に異なると位置づけます。
- 過剰なパターナリズムへの批判:仮に社会の多数派から「尊厳を害する」と見なされたとしても、成人間の完全な合意に基づき他者に実害を与えない行為について、国家が一定の倫理観を強制して処罰することは過剰な「道徳的パターナリズム(法的道徳主義)」であると批判されます。
3. 「現実の尊厳」をどう守るかという視点(ハームリダクション)
資料では、倫理的な評価と**「現実の当事者の尊厳や安全をどう守るか」という制度論**を区別して考える重要性が指摘されています。
- 抽象的な「尊厳の保護」を掲げて買春者などを処罰・規制しても、現実には市場の地下化を招き、当事者が悪質な暴力に晒されたり、警察の保護から遠ざけられたりする結果を生みます。
- このように当事者をより危険で孤立した状況に追いやる法制度こそが「人の尊厳を擁護しているとは言えない」と批判されており、当事者に労働権や自己決定権(サービス拒否権など)を認め、警察や医療へのアクセスを確保すること(ハームリダクション)が、実質的に尊厳を守る道であると議論されています。
ニーチェはこの断章の中で、宗教を以下の4つに分類して比較しています。
- 肯定的なアーリア的宗教(支配階級の産物):『マヌ法典』(古代インドの法典。生命や階級制度を肯定する姿勢をニーチェは評価した)。
- 肯定的なセム的宗教(支配階級の産物):『マホメットの法典(イスラム教)』や『旧約聖書の初期(ユダヤ教の源流)』。これらは力や現実の支配を肯定する「男性的」な宗教であるとニーチェは捉えています。
- 否定的なセム的宗教(被支配階級の産物):『新約聖書(キリスト教)』。ニーチェはこれを、弱者が強者に対して抱く怨恨(ルサンチマン)から生まれた、生命を否定する「奴隷道徳」であり「女性的な宗教」であると批判しました。
- 否定的なアーリア的宗教(支配階級から生まれたもの):『仏教』。生命への執着を捨てる(否定的な)思想だが、高貴な階級(釈迦など)から生まれたため、キリスト教のような怨恨(ルサンチマン)による毒はないとされています。
ニーチェは、キリスト教的な「弱者の同情や感傷」を嫌い、現実の生や力を肯定する『マヌ法典』や『イスラム教(マホメット教)』の持つ力強さ(肯定的な側面)を対比として評価しています。
一つの観方だろうな。
ずいぶん昔の話なのでわすれて「saebou」で旧ブログを検索したら発言を1つも引用してないこんな記事を、天下の文藝春秋が何故出したかね。
— Spica (@CasseCool) September 13, 2026
明確に北村先生への悪口と言えるのは、3つだけ(+せいぜい発破を掛けたのが1つ)だった。そして対象となった女性は彼女のみ。
「次々と悪口を」と誇張し、自分以外の女性は一切標的になってないのに「女性差別」と解釈した。… https://t.co/rFBuoTcvl5 pic.twitter.com/aH6dcC1O0Z
さえぼう【編者注:北村のハンドルネーム】の権利主張こそ「私はこんなにすごい研究者なのに女だから正当に評価されない!」というのが根底にあって、エリートとしての義務を果たそうとしているところを見たことがない
という呉座氏の発言がでてきた。陰口だろうな
ちゃんと引用している。また呉座先生の新しいスクショが出回った。ひどいのがどんどん出てくる。女性がフェミニズムを唱えるだけで「自分が正当に評価されていないと思っている女の僻み」だと言いたがるの、本当にひどい。私、そんなこと一度も思ったことないし、なんで私の行動からそんなことを思うのか全くわからない。 pic.twitter.com/zKbJ6G4XYk
— saebou (@Cristoforou) March 20, 2021
また、saebou氏とは関係なく女性差別発言もあった。
— もぐもぐ (@mgmgnet) March 21, 2021
- 1つ目の投稿
日本の労働生産性が低いのはサービス過剰だからと主張し、「女性が活躍できるようにするためにサービスを低下させることを国民が許容できるだろうか」といった趣旨の疑問を呈しています。 - 2つ目の投稿
「長時間労働は非効率なだけ!女性が働きやすい環境を整えればむしろ企業は成長する!!」というメディア記事(東洋経済オンラインなど)の言説に対し、疑問や批判的な見解を示しています。 [1]