ここらへんのことがわからずに、欧米と同じじゃないと日本は変だ、日本は遅れている、というのはやっぱ欧米中心主義、差別意識の強い人たちだろうな・・・
PARADOX OF TOLERANCE EXPLAINED「多様性のパラドックス」です。「多様性を認めない」ことを多様性として認めると多様性そのものが否定されるので、多様性のためには「多様性を認めない」ことは認めないのです https://t.co/u8YIxyoF4F
— 町山智浩 (@TomoMachi) September 21, 2026
**「寛容のパラドックス(Paradox of Tolerance)」**とは、
「どんな考え方にも無制限に寛容でいると、最終的には寛容そのものが破壊されてしまう」
という考え方です。
これは哲学者 カール・ポパー が提唱しました。
わかりやすい例
ある町に、誰でも歓迎する広場があったとします。
町の人たちは
- 意見の違いを認める
- 宗教や文化の違いを尊重する
- 誰でも自由に発言できる
というルールを大切にしていました。
ところがある日、
「自分たち以外の人間は黙らせるべきだ」
「異なる考えを持つ人を排除しろ」
という集団が現れます。
町の人々が
「寛容な社会だから、その人たちも無制限に認めよう」
とすると、その集団はどんどん力を持ち、最後には他の人の自由な発言を禁止してしまうかもしれません。
結果として、
寛容な社会が、不寛容な人々によって壊されてしまう。
これが寛容のパラドックスです。
。
1. 喧嘩の仕方(The Four Horsemen)
心理学者ジョン・ゴットマン博士は、ワシントン大学の研究室で何年もカップルの喧嘩を観察し、離婚に向かう夫婦に共通する4つの行動パターンを発見しました。これを「四騎士」と名付けています。
- 批判(criticism) — 相手の人格そのものを攻撃する
- 軽蔑(contempt) — 見下す態度、嘲笑
- 防御的態度(defensiveness) — 自分を正当化して相手のせいにする
- 無視・シャットダウン(stonewalling) — 会話から完全に引きこもる
ポイントは「喧嘩すること自体」が問題なのではなく、喧嘩が始まった後にどう振る舞うかが重要だということです。
ここで出てくる「知覚されたパートナーの応答性(perceived partner responsiveness)」という概念は、怒っている最中でも「この人はまだ自分を理解してくれている、気にかけてくれている」と感じられることを指します。具体的には:
- 今起きている問題だけに集中する(過去の話を蒸し返さない)
- 相手を傷つけようとしない
- 喧嘩の後にちゃんと元の関係に戻れる
2. 喜びの分かち合い方(Capitalization)
「capitalization(資本化)」とは、誰かが良い知らせをパートナーに話したとき、パートナーがその瞬間にふさわしい反応を返すことを指す心理学用語です。
2023年の研究では、良い知らせを話したときに「ちゃんと感謝された・喜んでもらえた」と感じる人は、逆に相手への感謝の気持ちが強まり、関係へのコミットメントも高まり、相手のニーズにも敏感になることが分かりました。
反応には4タイプありますが、最も良いのは「積極的・熱心な反応」——質問する、興味を示す、相手がその喜びを味わえるようにすることです。ある研究では、このタイプの反応が性的満足度の高さとも関連していたそうです。
逆に、スマホをチラ見しながら「へえ、いいね」と言って画面に戻る——という反応(意図的でなくても)は、相手を傷つけることがあります。
まとめ
要するに、完璧な関係を作るのは「喧嘩をしないこと」や「常に盛り上がること」ではなく、喧嘩の後にどう修復するか、そして相手が輝いている瞬間にどれだけ本気で寄り添えるか——この2点にかかっている、というのがこの文章の主旨です。
1. 言葉の由来(ジョン・ダン)
17世紀の英国の詩人・聖職者ジョン・ダンの説教の一節。 「人は孤島ではなく、すべての人類は一つの大陸である。だから他者の死や不幸は自分自身の損失であり、弔いの鐘は人類全員(あなた)のために鳴っている」という、「人類の連帯」と「共苦」の哲学を説いたもの。2. ヘミングウェイの小説における使い方
1940年の小説『誰がために鐘は鳴る』のタイトルと巻頭の辞に使用。 スペイン内戦(ファシズムとの戦い)を「他国のよそ事」ではなく、「世界全体の危機」として捉えるテーマの土台とした。 敵の足止めのために死を選ぶ主人公の最期を通し、その死は無関係な個人のものではなく、「生き残る私たち全員のために捧げられたもの」として描いた。
- なるほど
**終油の秘跡(しゅうゆのひせき)**とは、カトリック教会の秘跡(サクラメント)の一つで、重い病気や死の危険にある人に対して行われる祈りと儀式です。
昔は「死ぬ直前に受けるもの」というイメージが強かったため、「最後の秘跡(Last Rites)」や「終油の秘跡」と呼ばれていました。しかし現在のカトリック教会では「病者の塗油(びょうしゃのとゆ、Anointing of the Sick)」と呼ばれています。
何をするの?
司祭が病人の額や手に聖なる油を塗り、
- 苦しみの中で神の助けを受けること
- 罪の赦しを得ること
- 心の平安を与えられること
- 場合によっては身体の回復を願うこと
を祈ります。
なぜ写真の神父はそれをしていたの?
あの兵士は狙撃兵に撃たれ、瀕死の状態でした。
神父ルイス・マリア・パディージョは、
「この兵士が一人で死を迎えないように」
「神の慰めと赦しを与えるために」
銃弾が飛び交う中を歩いていきました。写真では、兵士が神父の法衣にしがみついています。肉体的な支えを求めているだけでなく、精神的・宗教的な支えを求めているようにも見えます。
宗教を超えた意味
興味深いのは、この写真が多くの人の心を打つ理由は、必ずしもカトリック信者だからではないことです。
この場面は、
- 医師が患者を看取る
- 家族が最期に手を握る
- 災害現場で救助者が寄り添う
のと同じく、
「死に直面した人を一人にしない」
という普遍的な人間の行為を象徴しています。
だからこの写真は宗教写真であると同時に、「人間の慈悲」の写真としても評価されているのです。❤️🩹
ちなみに日本語の「終油」という言葉だけ見ると「死の宣告」のような印象がありますが、本来は「もう助からないから行う儀式」ではなく、苦しむ人に寄り添い、慰めと希望を与えるための祈りなんですよ。
感動的だな。
14 あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。15 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。(日本聖書協会『聖書 新共同訳』より)
これか。
エド・シーランの件。オリヴィア・ロドリンゴとかガザ支援を堂々と言いつつ、全米ツアーをできてる人がいるわけで、要はゴリゴリのイスラエル派ロバート・クラフトと友人なのが問題。初のスタジアムライヴを開かせてくれた恩人とのことだけど、結婚式に出るわ、完全に取り込まれてることに無自覚
— イタコ (@suzuky) September 21, 2026
はい。2026年9月現在、Ed Sheeranは音楽そのものよりも、イスラエル・パレスチナ問題に関連したツアー運営をめぐって批判の対象になっています。 [theguardian.com], [reuters.com]
経緯を簡単にいうと、
- ラッパーの(マックルモア)がツアーの前座として出演中に「Free Palestine(パレスチナに自由を)」と発言した。 [theguardian.com], [reuters.com]
- その後、マックルモアはツアーから外された。ツアープロモーターや会場側の意向が関係したと報じられている。 [theguardian.com], [reuters.com]
- 一部のファンやアーティストから、「なぜエド・シーランはマックルモアを守らなかったのか」という批判やボイコット呼びかけが起きた。 [theguardian.com], [afp.com]
- その後エド・シーラン本人は、「ガザで起きていることは壊滅的で正当化できない」と述べ、民間人や子どもの犠牲に心を痛めていると発言した。また、この件の対応について「間違いもあった、申し訳ない」と謝罪した。 [afp.com], [cbsnews.com], [reuters.com]
つまり現在の批判は、
- 「親イスラエルだから」という批判ではなく、
- 「政治的圧力に屈してマックルモアを外したのではないか」
- 「表現の自由を十分に守らなかったのではないか」
という内容が中心です。 [theguardian.com], [theguardian.com], [reuters.com]
ただし、エド・シーラン自身は「イスラエル・パレスチナ双方の苦しみは悲劇だ」と述べており、特定の陣営を全面的に支持する立場を打ち出しているわけではありません。 [theguardian.com], [cbsnews.com]
要するに、今は「音楽家エド・シーラン」よりも「政治的中立を保とうとした結果、両側から批判を受けている有名人」という状況に近いですね。 [theguardian.com], [afp.com], [reuters.com]
ただ、この程度のぶりっ子出羽守も多いよな・・・・米軍性奴隷とか、あるいは、欧州のロマ問題とか知らんぷりだもんな。