2026年7月12日日曜日

天皇制を赤の他人の民間人馬鹿君に継承させんとする不敬タカイチ、ナカソネ、アソウ、タマキ、オガワは絶対許さんぞ、おれは。

 

町山智浩さんがリポスト 親韓タカイチらしいな。

2026年7月11日土曜日

『Parzival』

東京大学の奥山輝大教授らの研究チームが発表した、とても興味深い研究ですね。これは、これまで仲が良かった相手を「急に嫌いになる(嫌悪感を持つ)」とき、脳の中で何が起きているのかを世界で初めて突き止めたものです。

一言で言うと、「相手の記憶」と「恐怖・不快の感情」を結ぶ脳のネットワークが、ガチッと強固に繋がってしまうことが原因でした。

メカニズムのポイントを分かりやすく3つに分解して解説します。

1. 鍵を握る2つの脳のエリア

脳の中の、まったく別の役割を持つ2つの場所が深く関わっています。

  • 海馬(かいば)の腹側CA1領域: 「あの人は〇〇さんだ」という、特定の個人のデータを保管する「記憶のフォルダ」です。

  • 扁桃体(へんとうたい): 不快感や恐怖、怒りといった「ネガティブな感情」を処理する場所です。

2. 嫌悪感が生まれる「回路の強化」

実験では、仲の良かったマウスが急に攻撃してくる(嫌な記憶ができる)と、脳の中で次のような変化が起きました。

【脳内の変化】

その攻撃してきた相手の「記憶フォルダ(海馬)」と、「不快・恐怖のスイッチ(扁桃体)」を結ぶ神経のネットワークの結びつき(シナプス結合)がめちゃくちゃ強くなってしまいました。

この強力なリンクができることで、次からその相手の姿を見る(思い出す)だけで、自動的に激しい不快スイッチがオンになり、「近づきたくない!」という強い嫌悪感が生まれる仕組みです。

3. 光を使って「嫌い」を消去・偽造することにも成功

さらに研究チームは、光を当てて神経細胞をコントロールする最新の技術(光遺伝学)を使って、この仕組みを証明しました。

  • 嫌いな気持ちを消す: 繋がってしまった海馬と扁桃体のリンクを光で人為的に弱めると、マウスは「嫌いだった相手」を嫌がらなくなり、また近づくようになりました。

  • 嫌いな気持ちを偽造する: まったく攻撃されていない(嫌いでもない)相手の記憶フォルダと、恐怖のスイッチを光で同時にパチッと刺激すると、何もされていないのにその相手を嫌いになって避けるようになりました。

この発見がこれからの未来にどう役立つ?

人間でも「学校や職場の人間関係のトラウマ」で特定の人が怖くなったり、それが原因で引きこもってしまったりすることがありますよね。

今回の研究で「特定の個人への嫌悪感」が作られる物質的なルートが分かったため、将来的には対人トラウマ、うつ病、不安障害といった心の不調に対する、新しい治療法や薬の開発に繋がることが期待されています。


政治家に対する嫌悪を消す光線が開発されるSFとかできないかな?



Gemini

ヴォルフラムの『パルツィヴァル』と、それに対するジョーゼフ・キャンベルの解釈のエッセンスをシンプルにまとめると、以下のようになります。

1. 『パルツィヴァル』とは?(物語の核心)

13世紀初頭のドイツ文学の最高峰。世間知らずの少年パルツィヴァルが、数々の失敗を重ねながら「聖杯王」へと成長する物語です。最大の転換点は、聖杯城で苦しむ王を前に「形式的なマナー(質問してはならないという教え)」に縛られ、心の底から湧き出た「同情の問い」を発せなかった大失敗にあります。彼は絶望の放浪を経て、真の信仰と他者への共感に目覚めていきます。

2. ジョーゼフ・キャンベルによる解釈

神話学者キャンベルは、この物語を「西洋における『個の誕生』を告げる不朽の名作」と捉えました。

  • ルールより良心: パルツィヴァルの失敗は、社会のルールを優先して自分の心の声(同情)を無視した結果である。物語は「外側の規則」から「内なる本能や倫理」への目覚めを描いている。

  • 道なき道を進む: 騎士たちが誰も歩んでいない森の奥へと進んだように、聖杯探索(=自己実現)とは、他人の作ったレールを捨てて「自分だけの人生」を生きることである。

  • 対立の統合: 異教徒の異母兄との決闘と和解は、自分の中の異質な部分(影)を受け入れ、人間として完全に調和することの象徴である。

一言でいうと 『パルツィヴァル』は単なる中世の騎士道物語ではなく、現代の私たちにも通じる**「組織の歯車にならず、他者への共感を胸に、自分自身の人生(道なき道)を切り拓いて生きよ」**という力強いメッセージを持った、自己実現の神話なのです。

MetaAI 

**Wolfram von Eschenbach の『Parzival』とは**


**2. あらすじの要点**
- **父ガハムレットの物語**: 冒頭はパルジヴァルの父ガハムレットの冒険と死で始まる。彼は中東で女王ベラカーヌと結婚し息子ファイレフィツをもうけるが、後にヘルツェロイデと再婚。息子パルジヴァルが生まれる前に戦死する
- **パルジヴァルの少年期**: 母は息子を騎士にさせまいと森で育てる。だがパルジヴァルは美しい騎士3人と出会い、アーサー王の宮廷を目指す
- **聖杯城での失敗**: 初めて聖杯城に招かれた時、病に苦しむ聖杯王アンフォルタスを見て「どうされましたか?」と問うべきだったのに、師グルネマンツの「質問は無作法」という教えを守って沈黙。結果、城も聖杯も消え去る
- **放浪と成長**: 失敗を恥じてアーサー王の宮廷からも追放され、5年間“荒野”を彷徨う。この期間が「自己変容のための“知らない領域”に入る」こととされる
- **成就**: やがて再び聖杯城に至り、今度は王の苦しみを思いやって問いを発する。癒しが起こり、パルジヴァルは新たな聖杯王となる

**3. テーマ**
- **愛と結婚**: 騎士道の武勲は「真実の愛」に動機づけられ、結婚で成就する
- **共感と思いやり**: 「謙虚・共感・同情」の重要性が繰り返し強調される
- **個と社会の葛藤**: 社会規範に従うことと、自分の内なる声=直感に従うことの対立が中心

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**Joseph Campbell による『Parzival』解釈**

Campbellは『Parzival』を西洋個人主義神話の核として何度も論じています。主なポイントは5つです。

### 1. 「それぞれ自分の道で森に入る」=個人の旅の肯定
アーサー王の円卓の騎士たちが聖杯探求に出る時、誰も既存の道を辿らず「各人が自分の道で森に入った」。Campbellはこれを「東洋ではグルに従うが、西洋の探求は“自分の本性に従え。他人に従えば破滅する”という精神」と読む。つまり聖杯は「マニュアル通りの修行」では得られず、試行錯誤を通じて内から価値を生み出すもの。

### 2. 「対立を超えて突き抜ける者」としてのParzival
CampbellはWolframが主人公名を“Perce-val”=「中間を突き抜ける者」と解したと紹介します。天国の戦争で神にもルシファーにも味方しなかった「中立の天使」のように、善悪という二元論を超えることが形而上学的な神秘だというのです。Parzivalの失敗は「社会の期待=沈黙」を選んで「自分の魂への義務」を裏切ったこと。

### 3. ロマンティック・ラブ=世界を肯定する聖性
Campbellは中世の「宮廷愛」を「アガペー=神への禁欲的愛」に対する「アモール=現世を肯定する愛」と対比させます。Wolframの『Parzival』では主人公が結婚を捨てずに聖杯王になる点が重要で、これは「現世と彼岸を融合させる」西洋独自の神話だとします。彼にとってParzivalとコンドヴィラームールスの結婚は「聖職者の仲介なしに、愛が婚姻によって成就する」モデル。

### 4. 聖杯=「中心の源泉」
Campbellは聖杯を「カップ」ではなく「自己の中心にある燃える点、尽きない泉」と呼びます。つまり聖杯探求とは「自分自身の知識の探求」であり、外の物体を探すのではなく「自己の内なる生命の源泉」に触れること。

### 5. 失敗こそが英雄の旅の始まり
Parzivalは最初の訪問で問いを発しなかった“罪”によって追放され、怒りと共に再び森へ戻ります。Campbellはこれを「Forest Adventurous=冒険の森」と呼び、「分からない状態に開かれて入ることで自己変容が起きる」と解釈します。ヒーローズ・ジャーニーの「拒絶された呼びかけ→試練→帰還」の構造そのものです。

**まとめると**
Wolframの『Parzival』は、騎士道物語の形を取りながら「社会規範 vs 内なる声」「禁欲 vs 現世肯定の愛」「既成の道 vs 自分の道」という西洋的個人のドラマを描いた叙事詩。
Campbellはそれを「ヒーローズ・ジャーニーの原型」「ロマンティック・ラブによる世界の聖化」「聖杯=自己の中心」という視点で読み解き、現代人の自己実現の神話として甦らせました。


自分

中立の天使についてもうすこしわかりやすくおしえて 


**「中立の天使」って何? なぜWolfram/Campbellはそれを重要視したの?**

### 1. 伝承の中の「中立の天使」

中世ヨーロッパには、こんな神話が語られていました。

- 神がルシファーと戦った「天国の戦争」のとき、ある天使たちは「神側」にも「反逆側」にも付かなかった。
- 神は彼らを罰して地上に落とし、魂の無い存在として彷徨わせた。
- これが「中立の天使 neutral angels」と呼ばれる者たち。

ダンテ『神曲』地獄篇3歌にも「神に叛きもせず忠実でもなかった卑怯な天使たち」として登場します。要するに“どっちつかず”は最も軽蔑される立場だったわけです。

### 2. WolframがParzivalに与えた意味のひっくり返し

WolframはParzivalという名前を「Perce-val=真ん中を突き抜ける者」と解釈します。

ここがポイント。普通なら「中立=日和見=悪」なのに、Wolframは逆に「中立こそ神秘」だと言い換えます。

なぜか?

- **善 vs 悪の二元論に巻き込まれない**
  ルシファーは「神にNOと言った者」。神側の天使は「YESと言った者」。
  でも中立の天使は「YES/NOというゲームそのものに参加しなかった者」
  つまり“善悪という物差し”の外に出ている

- **形而上学的には「超越」**
  Campbellはこれを「形而上学的神秘 the metaphysical mystery」と呼びます。
  善と悪はコインの表裏で、同じコインの上に乗っている。
  中立の天使は「コインを投げている手」の位置にいるイメージ。
  対立を超えた“第三の場所”から世界を見ているんです。

### 3. Parzivalの物語にどう現れるか

**具体例:聖杯城での沈黙**

| 選択肢 | 二元論的な意味 |
| --- | --- |
| 師の教え通り黙る | 「騎士道の作法=善」に従う |
| 直感に従って問いかける | 「作法違反=悪」になるかも |

Parzivalは最初「善=作法」を選んで失敗します。社会の善悪コードに忠実すぎた。

後に彼が成功するのは「王が苦しんでいる。なら問うのが人間だ」という、善悪コードの外側にある“共感”から動いた時です。これが「中間を突き抜ける」。

つまり「善だからやる/悪だからやらない」ではなく、「命がそこにあるから動く」。これが中立の天使のスタンス。

### 4. Campbellが現代人に翻訳すると

Campbellはこう言います:

1. **自分の道で森に入れ**
   教義・マニュアル=既存の善悪コード。
   それをなぞるだけだと「誰かの人生のコピー」になる。破滅する。

2. **聖杯=自分の中心**
   外に“正解の善”を探すのではなく、自分の中心にある「尽きない泉」に従う。
   それは時に社会の“善”とぶつかる。でもそこが変容の場所。

3. **ロマンティック・ラブがモデル**
   結婚してるParzivalが聖杯王になる=「現世を捨てる=聖」じゃない。
   世俗と聖性を“どっちかに決めない”で生きること自体が神秘。

### 5. わかりやすく例えるなら

**サッカーの試合**
- チームA=善、チームB=悪、と決めて観戦するのが二元論。
- 審判はどっちの味方でもない。でも試合を成り立たせる“第三の立場”。
- さらに「そもそも勝ち負けより、プレイの美しさに感動する観客」は、勝敗という二元論を超えている。

Parzivalが目指すのは、この“感動する観客”の視点。
善悪の試合は続くけど、それに巻き込まれず、かつ試合そのものを愛する視点。

**まとめ**

- **中立の天使**=善悪ゲームに参加しない=ダメな奴、が中世の常識。
- **Wolframの転換**=いや、その「中間を突き抜ける者」こそ聖杯に至る。
- **Campbellの解釈**=現代人も「社会の正解」vs「自分の直感」の二択で悩む。答えは二択の外に自分で道を作ること。それが英雄の旅。

だから「善悪を超える」とは「悪いことをしてもOK」という意味じゃない。
「善悪という物差しだけに人生を預けない」ってこと。
その物差しを握っている“手”の方に、自分自身がなるイメージです。

サッカーの喩えがいいとは思わないけど、Campbellはやっぱ深いね。

 

 ノルウエーが世界で注目を浴びる日々

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差別主義者が天皇の祖父に!!!!???

町山智浩さんがリポスト つまり、差別主義者が天皇の祖父になるかもってこと????

あなたもわたしも皇族に!

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天皇制を赤の他人の民間人馬鹿君に継承させんとする不敬タカイチ、ナカソネ、アソウ、タマキ、オガワは絶対許さんぞ、おれは。

  町山智浩さんがリポスト あれだけ高市政権を持ち上げていた各メディアですら反対している皇室典範改正案 逆に賛成してるところはあるのかな?と調べてみたら一つだけ見つかりました。 https://t.co/4p6Wxtx4i2 pic.twitter.com/X4eni6aI...