2026年9月9日水曜日

妖精はいるのか?

映画『ミス・ブロディの青春』(原題: The Prime of Miss Jean Brodie / 1969年)は、ミュリエル・スパークの小説を原作に、マギー・スミスがアカデミー主演女優賞を受賞した名作ドラマです。

ストーリーの概要

1930年代のエディンバラ。保守的な全寮制女子校「マーシャ・ブレイン校」で教鞭を執るジーン・ブロディ先生(マギー・スミス)は、「今は私の女盛りの時期(The Prime)」と自負し、独自の教育理念を持ったカリスマ的な女性教師でした。

彼女は伝統や校則を無視し、お気に入りの女子生徒4人(「ブロディ軍団」と呼ばれる生徒たち)を特に可愛がります。教科書にない芸術、愛、情熱を教え込む一方で、当時台頭していたムッソリーニやフランコなどのファシズム思想に傾倒し、それを生徒たちにも理想として吹き込んでいきました。

愛憎と偏執

ブロディ先生は私生活でも波乱を巻き起こします。既婚者の美術教師ロイドと愛し合いながらも一線を画し、気弱な音楽教師ローサーとも関係を持つなど複雑な恋愛劇を展開。さらに、大人になったお気に入りの生徒・ジェニーをロイドの愛人に仕立て上げようと裏で画策するなど、生徒たちの人生を自分の支配下に置こうと操作し始めます。

破滅への結末

ブロディの影響を強く受けた純粋な生徒メアリーは、彼女のファシズムへの賛美を真に受け、スペイン内戦へ義勇兵として参戦しようと旅立ちますが、途中で命を落としてしまいます。

この悲劇をきっかけに、軍団のひとりであった思慮深い生徒サンディはブロディ先生の狂気と危険性に気づきます。サンディは校長にブロディのファシズム礼賛活動を密告。ブロディ先生は免職へと追い込まれます。

自分を裏切ったのが最も信頼していたサンディだと知ったブロディ先生は激怒しますが、サンディは冷ややかに彼女の支配から去り、ブロディ先生は虚飾と孤独の中に残されることになります。

映画のポイント

  • カリスマと危うさ: 進歩的で魅力的な教師に見えつつ、実は自恋的で生徒を自分の作品として操作しようとするエゴイズムが巧みに描かれています。

  • マギー・スミスの演技: 誇り高く狂気を秘めたミス・ブロディを見事に演じ切り、圧倒的な存在感を示しました。

 へええ・・・そういえば

【米中関係】軍事衝突を招く「2人の思い込み」

今回ワシントンに行って感じたのがトランプさんの力が一期目にくらべるととんでもなく強くなっている。トランプさんに怒られたらどうしようとヒヤヒヤしている

じゃあ、中国とかわらないじゃないですか?

どこもかしこもやばくなっているのかな? 


 若い頃小林秀雄はよく読んでいたが、彼から哲学や思想を学ぼうとしてもなにも得られなかったな。ただ、べらんめえのかんじがよかったんだろうな。

「疾走する悲しみ」というレトリックもいかすしな。

言葉の成り立ちには次のような背景があります。

  • アンリ・ゲオン(フランスの劇作家・音楽批評家)

    著書『モーツァルトとの散歩(Promenades Avec Mozart)』の中で、モーツァルトの音楽が持つ独特な悲しみを "tristesse allante" と表現しました。

    ※ "allante" は「歩む、はつらつとした」という意味で、直訳すると「足どりの軽い悲しみ」「はつらつとした悲しみ」といった意味合いです。

  • 小林秀雄(日本の文芸評論家)

    著書『モオツァルト』のなかでゲオンのこの "tristesse allante" という言葉を引きつつ、これを日本独自の深い感性(『万葉集』などの「かなし」)に結びつけて、以下のように訳・解釈しました。

    「ゲオンがこれを tristesse allante と呼んでいるのを、読んだ時、僕は自分の感じを一言で言われたように思い驚いた。確かに、モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。

かっちょいいな。 


結論として、投稿の内容は概ね事実(本当)です。

  • タモリの小林秀雄批判(事実)
    1970〜80年代のラジオ等で、タモリ氏は難解な言葉で偉そうに語る知識人の代表格として小林秀雄を厳しく批判・パロディ化していました。

  • 真珠湾攻撃の礼賛(事実)
    開戦直後に文章で「名人の至芸」「清々しい気持」と表現し、戦争を賛美・協力しました。

  • 「反省しない」の発言(事実)
    戦後、自身の戦争責任を問われ「僕は無知だから反省なぞしない」と発言しました。※ただしこれは「終戦直後に手のひらを返して反省してみせた知識人たちへの皮肉」という文脈も含まれます。

  • 「小林秀雄賞」の存在(事実)
    新潮文芸振興会が主催する実在の著名な文学賞です。

 タモリさんはえらいね。 自分 
ロシア系住民が極右、あるいはプーチンを支持している、というのは偏見、あるいはちゃんとした調査に基づいている?
 Gemini
結論として、**「ロシア系住民に極右支持や親ロ派が多い」という傾向自体は世論調査で裏付けられた事実**ですが、投稿の内容には**数値の誇張や事実誤認**が含まれています。

* **調査で裏付けられている事実**
* 調査機関(ZOiSやDeZIMなど)のデータでは、旧ソ連出身者のAfD(極右政党)支持率は一般層の約1.5〜2倍に上ります。
* ロシア国営メディアの影響などから、親ロシア・制裁反対の割合が他層より高いことも確認されています。

* **投稿内の誤り・過度な単純化**
* **人数と密度の誇張:** 該当する人口規模は約250万〜300万人ですが、**全員がプーチン支持ではありません**。中道政党の支持者や反プーチン派も当然存在します。
* **歴史的誤解:** 移住のピークは東西分離時代(冷戦期)ではなく、ソ連崩壊前後(1980年代末〜1990年代)です。
**なぜ支持するのか?**
単なるファシズムへの傾倒ではなく、①LGBTQ+政策等に対する伝統的・保守的な価値観、②難民受け入れへの不満、③情報源のロシア偏重といった複合的な要因が指摘されています。
 なるほど。  全く不要とは言わんが、これは多すぎだろう? これは観てみたいよな。 東京は新宿と立川だけか? 治療はするけど、通訳はつけてね、というのは・・・不当な要求ともいえまい。もっとも最近はスマホで通訳してくれるからなああ。

 

自分 
神社で祭りなどの行事はあるけど、基本は祈る場所じゃないの? 修学旅行の学生たちが鳥居の下で集団舞踊しても日本社会の規範に反しない? 

 Gemini

1. 「神社は踊る場所」という主張の誤解

  • 神事としての踊り vs 私的な舞踊: 神社で踊りが行われるのは「神楽(かぐら)」や「奉納舞」など、神様に対して捧げる儀式・神事(または氏子や地域コミュニティの伝統行事)だからです。

  • ステージではない: 鳥居から境内は神様が鎮座する「神域(しんいき)」であり、個人的なパフォーマンスや動画撮影のステージではありません。

2. 提示された反論の妥当性

  • 「祈る場所」という指摘: 極めて妥当です。神社は信仰・静寂・祈りの場であり、個人的な娯楽や宣伝(TikTok等)のために空間を占有する場所ではありません。

  • 「修学旅行生の例え」: 日本の社会的規範(マナーや公共の秩序)を説明するうえで非常にわかりやすい比較です。日本の学生であっても、千本鳥居のような参道を占拠してダンス動画を撮影すれば、当然ながら「マナー違反」「迷惑行為」として注意を受けます。

反論をさらに強固にするポイント

より論理的かつ説得力を増すために、以下の要素を付け加えるのが効果的です。

  • 「奉納(公共・神事)」と「私的利用(自己承認)」の混同を正す 神社で踊りが許されるのは「神様や地域社会への奉納」という文脈がある場合のみです。TikTok等の撮影は「個人コンテンツの制作」であり、本質が全く異なります。

  • 「参道(公共の通路)の占拠」という実害を指摘する 信仰心や文化の尊重以前の問題として、他人の通行を妨げたり事故のリスクを生じさせたりする「参道占拠」は、公共の利用規約やマナーに反します。

  • 「国籍に関わらず不適切」である点の明確化 この問題は「外国人だからダメ」なのではなく、「誰であっても神域での参道占拠や私的な撮影パフォーマンスは不適切」というルール(規範)の共通認識であることを示すのが重要です。

だな。     「外国人は追い出せ」「防衛費は増やせ」から「防衛費を減らせ」にすると共産党など左派の政策になる。

いずれにせよ、 現状の政権に対して
給料は上げろ ・物価は下げろ ・税金は下げろ ・社会保険料も下げろ ・でも行政サービスは減らすな ・年金も医療も守れ
政権批判するために、こうした主張をするのは当たり前といえば当たり前で、税金は上げろ、社会保険料も上げろ、・・・・などという野党はは・・・あるの? Grok

 比較優位を、小学生でもわかるように説明します。

たとえ話:2人の子どもとお手伝い

AくんとBくんがいます。
2人で「ご飯を作る」と「お皿を洗う」をやらなきゃいけません。

  • Aくんはとても上手。
    ご飯を作るのに10分、お皿を洗うのに5分でできる。
  • Bくんは少し遅い。
    ご飯を作るのに30分、お皿を洗うのに10分かかる。

Aくんはどっちも速いです(これを絶対優位といいます)。
でも、Aくんが全部やると、時間がもったいないです。

ここで大事なのは「どっちが得意か」ではなく、「自分がやるなら、どっちのほうがマシか」です。

Aくんの場合

  • ご飯を作る:10分
  • お皿を洗う:5分

お皿を洗うほうが、ご飯を作るよりずっと早くできます。
(お皿洗いが「比較優位」)

Bくんの場合

  • ご飯を作る:30分
  • お皿を洗う:10分

Bくんもお皿洗いのほうが速いですが、Aくんと比べると差が小さいです。
でも、Bくんがご飯を作るのはすごく時間がかかるので、
「Bくんはお皿洗いのほうがマシ」になります。

じゃあどうする?

  • Aくんは「お皿洗い」に集中する。
  • Bくんは「ご飯作り」に集中する。

そして、できたものを分け合います。

こうすると、2人でやったときよりも、全体で早く終わって、みんな楽になります。

これが比較優位のポイント

国同士でも同じです。

ある国が、どんな産業でも相手より生産性が低くても大丈夫。
「自分の国の中で、他の産業と比べて相対的にマシな産業」に力を入れると、
両方の国が得をする、というのが比較優位です。

絶対に「全部自分でやったほうが得」ではなく、
「相対的に得意なものを交換するほうが、全体で得する」という考え方です。


なるほどねえ。

自分 小中学生のときは基礎学力 高校以降は得意科目のほうがいいんじゃ?

Copilot

🌊 ◆ 結論(水滴の答え)

小中学生:基礎学力をしっかり育てる 高校以降:得意科目を伸ばす(専門化)

この流れは、社会全体の効率を高めるうえでとても合理的なんだ。

🌾 ◆ なぜ小中は「基礎」が大事なの?

小中学生はまだ脳の発達段階で、読み書き・計算・科学的な考え方・社会の仕組みなどの“土台”を作る時期なんだ。基礎が弱いと…得意科目を伸ばしても限界が来る 社会に出てから困る 専門性が活かしきれない 

🌊 ◆ 高校以降は「比較優位」が効いてくる

高校になると、生徒の得意・不得意がはっきりしてくるよね。ここで比較優位の考え方が生きるんだ。 

✔ 得意科目を伸ばす → 生徒の強みが最大化される → 将来の専門性につながる → 社会の役割分担がうまくいく 


✔ 全科目を均等に伸ばそうとすると → 効率が悪い → 本来の強みが埋もれる → 社会全体の多様性が減る

共通テストみたいのは廃止すりゃいいんだよ。

やっぱ妖精はいるんだろうな。

0 件のコメント:

コメントを投稿

Mahiya naman kayo Shame on you、China

すごい威厳。フィリピンには立派な外交官がいるなあ。日本でこれできる人いるのかしら、と思ってしまう。 https://t.co/MQbJlbuWqL — イタコ (@suzuky) September 9, 2026 MAHIYA NAMAN KAYO | Secretar...