ビール飲んでる自民党議員との違いだな。天皇ご一家、静養取りやめ - 甚大な被害に心痛めるhttps://t.co/ObcuoCO3a6
— 共同通信公式 (@kyodo_official) July 29, 2026
熊本知事、自治省出身で消防庁防災課広域応援室長とか経験した官僚出身で2016年に自分が熊本地震に被災していて、このレベルで避難所の整備を放置したって逆にすごいからな。で、もちろん自公推薦で当選している。自民党に投票したらどうなるのか分かっていて投票し続ける有権者の問題でもある https://t.co/SNCF6GFhMn
— kazukazu (@kazukazu881) August 1, 2026
自民党に投票したらどうなるのか分かっていて投票し続ける有権者の問題でもあるこれは野党応援団とか左派の悪い癖。
⑤ なぜこのタイミングで介入したのか?佐々木氏の推測は3つ:1. 食料品消費税1%減税の発表直後に円安を防ぎたかった→ 減税の効果が円安で吹き飛ぶのを避けたい。2. 日銀が利上げしなかったため、円安が加速するのを止めたかった3. 外貨準備の含み益を“実現益化”して財源に使いたい可能性・・・・⑧ 2024年のような「円高転換」は期待しにくい2024年7月は→ 米CPI低下→ FRB利下げ期待→ 日銀利上げ→ ドル安+円高の自然な流れがあった今回はFRBは利上げ方向日銀は据え置き→ ドル高トレンド継続 → 円高は続かない可能性が高い
なるほどね。
① FRBが“ドルの貸し出し窓口”を開くアメリカの中央銀行(FRB)が 「必要ならドルを貸すよ〜」 という特別な窓口を作る。これが ドルスワップライン。🟦 ② 日本銀行が“円を担保にドルを借りる”日本銀行(BOJ)はこうする: BOJ → FRB に「円」を預ける FRB → BOJ に「ドル」を貸す つまり、✔ 円とドルを“交換(スワップ)”するだけ✔ 米国債を売る必要がない✔ だから市場を荒らさずに大量のドルを確保できる🟦 ③ 期限が来たら“元に戻す”だけ一定期間後に: BOJは借りたドルを返す FRBは預かった円を返す利息だけ支払う(とても低い)🌊 ドルスワップのメリット✔ ① 無制限に近いドルを調達できるFRBが上限を決めていない場合、日本はほぼ“必要なだけ”ドルを借りられる。✔ ② 米国債を売らなくていい米国債を売るとアメリカの金利が上がってしまう。アメリカはそれを嫌がる。ドルスワップなら米国債を売らずにドルを確保できる→ アメリカも日本もハッピー。✔ ③ 為替介入を“静かに大量に”できるドルを借りて円を買うだけなので、市場にショックを与えずに介入できる
① 実際の介入は“外貨準備のドル”を使っている今回の推定介入額は7兆円+数兆円 → 合計10兆円規模これは外貨準備から出ていると考えるのが自然。🌊 ② ただし財務省は「ドルスワップで無制限にドルを調達できる」と英語で発信したこれは、“外貨準備を減らさずにドルを確保できる” = 米国債を売らずにドルを得られるという意味。 つまり、✔ 実際の介入では外貨準備を使った✔ でも今後はドルスワップで“ほぼ無限にドルを補充できる”✔ だから投機筋よ、円を売り叩くなよという ウォール街への警告。🌊 ③ 外貨準備は減ってきている(160兆円台に突入の可能性)動画でも言われていたけど:介入前:184兆円前回介入後:172兆円今回さらに10兆円規模を使った可能性→ 160兆円台へだから財務省は「外貨準備だけでは足りないかもしれない」「ドルスワップで補充できるぞ」というメッセージを英語で発信したわけ。
①日本のお笑いは「自分を捨てる練習」だったアメリカのユーモアは「相手をからかう」「気まずくさせる」ことで笑いを取る文化。日本語で同じことをするとただの“失礼な人”になってしまう。日本のお笑いは「自分がバカになる(ボケる)」ことで場を和ませる文化。→ 日本語を使うと自然と“相手を傷つけない笑い”を選ぶようになり、人格が変わった。
なるほどね。
自虐ネタはイギリスの特権ではないな。
🟦 ② 日本語は主語がない → 優しくなる英語は「I」「you」を連発する言語。→ 自分と相手の境界線が常に強調される。日本語は主語を省略できる。→ 「一緒に考えている」ような距離の近さが生まれる。“どう思いますか?”は心に寄り添うニュアンス。英語の “What do you think?” は立場を問うニュアンス。→ 日本語を話すと、自然と“リタ的(相手を思いやる)”になる。🟦 ③ 日本に来て「謝罪の意味」が変わった英語の “I’m sorry” は負けた感じ罪を認める感じバリエーションが少ない→ 満足感がない。日本語は怒りのレベルに合わせて謝罪を変えられるごめん ごめんなさい 申し訳ありません 誠に申し訳ございません→ ニュアンスの幅が広く、気持ちが伝わる。→ 日本語の謝罪の方が“誠実さを表現しやすい”。
この災害で「クーラーつけろ」は与党派でも無党派でも野党派でもほぼ誰もが認める主張だが「軍事費、防衛費」を財源にしろ、というのは議論がわかれるところ。防衛費は必要という人も多い。クーラーつけろと言うならそれだけ主張すればいいのに、なぜ政府批判したり軍拡を引き合いに出したりするのか、という話を見かけたのだけど、クーラーつけてないのは政府だし、軍事費は全然増やす余裕あるみたいだから財源そこでよくね?て話をしてるだけなんだよな…
— きなこ (@mochi_k) July 31, 2026
女性のどこでも触り放題と勘違いしている人を大統領にしちゃう国だからなああ・・・・2度もThis video was deleted from facebook and instagram yesterday.
— The Other 98% (@TheOther_9) July 30, 2026
Let it go viral 🔥 https://t.co/ri9yrtimmP
パンダは失ったが大国に屈せず、真実をいう自由を維持した。これに「パンダを失ってもしかたがない」とコメントしてる人、では日本はパンダを失って、代わりに何を得たんですか? https://t.co/GQiOySOrMr
— 町山智浩 (@TomoMachi) July 30, 2026
① オイルショック=老いを笑いに変える発想「老い」をマイナスに捉えず、盛ってエンタメ化するのがコツ通販生活の連載で「オイルショック対象」を企画読者が“自分の老いのエピソード”を盛って送ってくる → 面白くなる🟦 ② 老いは“じわじわ5年遅れで自覚する”還暦を迎えてもすぐには実感しない65歳くらいで「あ、来たな」と感じる例:探していた本が冷蔵庫で冷えていた(オイルショックの象徴)🟦 ③ 老いの悩みは“盛って笑いにする”のが正解膝が痛い → 「オイルショック!」と一声入れるしょうがないことを深刻に考えず、軽く扱う技術が大事
一般的には しょうもない=くだらない/取るに足らない って意味なんだけど、三浦さんの文脈ではもう少し味がある。
🌈 三浦さん流の「しょうもない」の意味
避けられない“しょうがないこと”をわざと軽く扱って“しょうもないこと”に変換する技術。
つまり、老いで忘れ物した 体が痛い 興味が薄れた 雑誌が読みにくくなった
こういう どうしようもない現象(しょうがない) を
深刻にせず、笑い話・ネタ・軽口(しょうもない) に変えてしまう。
へええ・・・年取るって大変なんだなああ 😎
リバタリアンの立場だね。<減税は手段ではなく目的です。その理由を説明します>
— 渡瀬裕哉 (@yuyawatase) July 31, 2026
かなり長くなり難解になりますが、下記の通り、減税が政策目的そのものである理由を説明します。…
その指摘は、まさにロック流の自己所有権論(そしてそれに依拠するリバタリアンの財産権論)に対して、古典的かつ鋭い批判点です。リバタリアン側の論理の構造渡瀬氏が依拠しているのは、主にジョン・ロックの「労働所有権理論」です。この移行を「自然的・先験的な権利の延長」として扱う点が、リバタリアン(特に右派リバタリアン)の核心です。ロバート・ノージックも基本的にこの線を引き継いでいます。論理の飛躍がある、という批判の妥当性(はい、多くの批判者はここを「飛躍」だと見なします。理由は主に次の通りです。
- 自己所有権:自分の身体と労働を排他的に所有する。
- そこから「労働を加えた未所有の自然物は、その人の所有になる」(プロヴィソ条件付き)。
- したがって、労働の成果物も本人の所有物になる。
- 成果物は「身体+労働」だけで生まれるわけではない
生産はほとんど常に、他者との協力、既存の社会的インフラ、知識の蓄積、分業、言語、法制度などを前提としています。個人の身体と労働だけを取り出して「すべてその人のもの」とするのは、社会的に埋め込まれた生産過程を抽象化しすぎている、という批判です。- 自然資源の初期取得問題が未解決
ロックのプロヴィソ(「他の人に十分かつ同等のものを残す」)は、現代の有限な地球ではほぼ満たせない、というのが定番の批判です。自然物の排他的占有を正当化する根拠が弱いのに、そこから強力な私的所有権を導いている。- 「所有」自体が社会的制度である
何を「所有」と認め、どのように保護し、誰に帰属させるかは、歴史的・社会的に形成された制度です。自己所有権から必然的に導かれる「自然的権利」というより、特定の社会関係の中で成立する規範だ、という見方です
ということだね
自分
マルクス主義からのリバタリアン批判(主なポイント)マルクス主義(およびそれに近い左派リバタリアンや分析的マルクス主義)からの批判は、概ね以下のように整理できます。形式的自由と実質的不自由の区別資本主義下では労働者は法的に自己所有権を持っている(奴隷ではない)が、生産手段を持たないため、生存のために自分の労働力を売らざるを得ない。これは「強制」ではないか、という指摘です。自己所有権が保障されていても、経済的従属関係が残るなら、実質的な自由は限られる、という立場です。搾取理論マルクスの剰余価値論では、労働者が生み出した価値のうち、賃金を超える部分が資本家に帰属します。これは「自由な契約」の形式を取りながらも、生産手段の所有の不平等に基づく搾取だとされます。リバタリアンが重視する「合意に基づく取引」は、背景にある所有の不平等を不問に付している、という批判です。
というわけだね。
ただ、課税が一方的な強制、自由剥奪の側面があるのは事実。徹底した監視と民主的コントロールは必要。
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