その通りだろうな。万博を成功させるためとして、吉村知事が自ら国に要望し、使った関連予算は13兆円(日経ビジネス、2024年5月22日)にのぼる。このお金を万博に使わずに、減税や競争力向上に使っていたら…。
— 楚人冠 (@312Z5CVgus3uTje) March 22, 2026
連鎖の関西に「万博不況」の足音…維新が主張しつづけた「経済波及効果」はどこへ?…
頑張ってほしい。「ロバート・デ・ニーロは、アメリカ国民に対し、3月28日に史上最大の🇺🇸に対する抗議のために街頭に出るよう呼びかけました。これは#Trump政権に対するものです👌」 https://t.co/cv4k8ThqUX
— 岸原さや🌿🕊NO WAR (@sayasaya777) March 23, 2026
属国みたいなものでしょ?松山千春「よくそこまでお世辞言えるなと」高市首相のトランプ対応に「アメリカの属国ではない」
— 日刊スポーツ (@nikkansports) March 23, 2026
#松山千春 #トランプ米大統領 #高市早苗 https://t.co/IJ69LzS6K9
かわいいね。ベトコン・カフェだけに本当に地雷がいて笑った https://t.co/omt8unNiOV
— 町山智浩 (@TomoMachi) March 23, 2026
たしかに。そもそも東大教授が学歴ピラミッドの頂点という認識自体どうかと思う。他大学の教員だって同じくらい偉いよ。偏差値と大学教員のレベルの高さを直結させるのはよくない。(だいたい、大学教員のレベルの高さだっていろんな指標がある) https://t.co/rPqZT7pUaN
— kazy (@gakeau) March 23, 2026
その通りだな。イラン戦争は反対だが、こういうニュースも非常に大事だと思う。https://t.co/M6m207YiXY
— 織田 朝日 (@freeasahi) March 22, 2026
電気の無駄だな。東京都は一刻も早くこのプロジェクションマッピングを中止してほしいです
— 桜城れい🌸🏯🌸愛国だもん🌸🏯🌸 (@zundamotisuki) March 22, 2026
はっきり言って電気の無駄
はっきり言って税金の無駄 pic.twitter.com/Fd4VktNT46
これはおもしろそう。 図書館にリクエストしておこうっと開店しました。17時までです。
— シスターフッド書店 Kanin (@Kaninsisterhood) March 23, 2026
『西洋絵画の女性像 描き、描かれた女性たち』、入荷しました。
強い意志をもって描き続けた女性画家と、芸術の名のもとに画題とされ、鑑賞されてきた女性たち。130点の絵画とともに、女性たちの歴史を絵画から見つめ直す。 pic.twitter.com/3ekg095dSH
この【下僕】というのは、誰か人間の奴隷という意味ではありません。イスラムでは人間に権利などありません。権利があるのはアッラーだけで、人間は【アッラーの奴隷】になることができるだけです。そもそも、イスラムは【服従】という意味です。【アブダラ=アッラーの奴隷】という名前も良くある。 https://t.co/gD9uEtBKHo
— buvery (@buvery2) March 23, 2026
「南無阿弥陀仏」の「南無」と、前の会話で出てきたイスラームの「しもべ(アブド)」や「服従」の概念との違いについて、簡単に整理します。1. 「南無(なむ / ナモ)」の意味(仏教側)要するに、「南無」は積極的な信頼・依り頼む・心を委ねる行為を表す言葉です。仏教では他力(阿弥陀仏の力)に頼る姿勢が強く、特に浄土真宗では「私が尊ぶ」のではなく「仏が私を抱きとってくださる」という他力の味わいが強調されます。2. イスラームの「しもべ(アブド / abd)」や「服従」との違い
- サンスクリット語の 「namas(ナマス)」 を音写した言葉。
- 基本的な意味は 「私は帰依します」「尊びます」「お任せします」「心からすがります」 というニュアンス。
- 「南無阿弥陀仏」全体では → 「阿弥陀仏(無量の光と命を持つ悟りを開いた者)に帰依します」「阿弥陀仏に全てをお任せします」 という誓い・感謝・信心の表現。
- 浄土宗・浄土真宗などで唱える念仏で、阿弥陀如来の慈悲にすがり、極楽往生を願う気持ちを表します。
- 「南無妙法蓮華経」(日蓮宗のお題目)でも同じ「南無」が使われ、こちらは「法華経の教えに帰依します」という意味になります。
3. 主な違いのポイント
- アブドラ(Abdullah) の「アブド」はアラビア語で 「しもべ・奉仕者・奴隷」 を意味し、人間はアッラー(唯一神)のしもべであるという立場を表します。
- イスラーム(Islam)という言葉自体が 「服従・帰依・絶対的な服従(submission)」 を意味する動詞から来ていて、人間はアッラーに完全に服従・降伏する存在とされます。
- 前のX投稿で「下僕」と言われていたのは、まさにこの 人間はアッラーのしもべ(アブド) という神学的な関係を指しています。人間同士の奴隷ではなく、唯一神だけに仕え、服従するというタウヒード(神の唯一性)の考え方です。
前の会話の文脈で言うと、X投稿の「下僕」はイスラームの「人間はアッラーのしもべ」という神人関係を指していて、「南無阿弥陀仏」の「南無」は仏教の帰依・お任せの表現です。言葉の響きや「委ねる」という点で似ていますが、宗教の構造(一神教 vs. 仏教の救済観)が違うため、ニュアンスに違いが出ます。もし「南無阿弥陀仏」全体の詳しい宗派ごとの解釈や、さらに深い比較が知りたい場合は教えてください!
- 対象:
- 南無 → 阿弥陀仏(または教え)という「悟りを開いた存在・慈悲の仏」に心を委ねる。
- しもべ(アブド) → 唯一絶対の神アッラーに完全に服従・降伏する。
- ニュアンス:
- 南無 → 「帰依・お任せ・すがる・尊ぶ」という信頼と依拠の響きが強い(他力本願の要素が大きい)。
- イスラームの服従 → 「submission(服従・降伏)」という絶対的な服従・従順のニュアンスが強く、神の意志に全てを委ね、命令に従う姿勢。
- 似ている点:
- どちらも「自分を低くして、超越的な存在に心を向ける」という点で共通します。一部の解説では、イスラームの「アスラマ(帰依・服従)」を仏教の「南無」に例える声もあります。
- 根本的な違い:
- 仏教(特に浄土系)は多神教的・非一神教的な枠組みで、慈悲や救済を重視。
- イスラームは厳格な一神教で、偶像崇拝を禁じ、神への絶対服従が核心。
「父よ、あなたの手に私の霊を委ねます」(Father, into your hands I commit my spirit)
1. 「脳=保存場所」というメタファーの否定
トランブル氏は、記憶をハードドライブや図書館のように「どこかに保存されているデータ」と見なす現代神経科学の前提を批判しています。
相関関係は実体ではない: 脳の活動(神経パターン)と記憶の想起に相関があるからといって、脳が記憶の「保管場所」である証明にはならないと説いています。彼女はこれを「ピアノの演奏とピアノという物体の関係」に例えており、ピアノ(脳)がなければ曲(記憶・意識)は奏でられないが、曲そのものがピアノの中に物理的に閉じ込められているわけではない、という考え方を示唆しています。
2. 「意識のハード・プロブレム」への直面
彼女は、物質的な脳のプロセスがいかにして「主観的な体験」を生み出すのかという、いわゆる意識のハード・プロブレムを重視しています。
体験という実体のない「イメージ」が、いかにして物理的な「神経パターン」へと変換・記録されるのか。唯物論はこの飛躍を説明できておらず、単に「脳がやっていることだ」という前提(公理)の上に議論を組み立てているに過ぎないと指摘しています。
自分
意識のハードプロブレムについて哲学者たちの回答をまとめて
Gemini
「意識のハード・プロブレム(物理的なプロセスから、なぜ主観的なクオリア/体験が生まれるのか)」という問いに対し、哲学者たちは大きく分けて4つの方向性で回答を試みています。
デイヴィッド・チャーマーズがこの問題を提起して以来、議論は「物質が先か、意識が先か」という根源的な対立軸で展開されています。
1. 物理主義・還元主義(「プロブレム自体を否定する」)
現代の脳科学に近い立場ですが、哲学的には「ハード・プロブレムなど存在しない」と主張するグループです。
消去主義的唯物論(パトリシア・チャーチランドなど):
将来的に脳科学が完全に解明されれば、「意識」や「クオリア」という言葉自体が、昔の「燃素(フロギストン)」のように不要な概念として消え去ると考えます。
錯覚主義(ダニエル・デネットなど):
「自分には特別な主観的体験がある」と感じること自体が、脳が生き残るために作り出した**巧妙なユーザーインターフェース(錯覚)**であるという説です。解明すべきは「なぜ脳がそんな錯覚を起こすのか」という「イージー・プロブレム」に集約されると説きます。
2. 二元論(「物質と意識は別物である」)
物質(脳)の法則とは別に、意識の法則が存在するという立場です。
属性二元論(デイヴィッド・チャーズマなど):
この世には「物理的属性」と「現象的属性(意識)」の2種類が根本的に存在するという考えです。物理法則をいくら調べても意識が見つからないのは、意識が物理現象の**「おまけ(付随性)」**、あるいは根本的な別次元の性質だからだと主張します。
自然主義的二元論:
物理法則と同じように「意識の基本法則」を見つけ出し、物理学を拡張すべきだとする立場です。
3. 一元論の変種(「すべてに意識がある / 根源は一つ」)
物質と意識の対立を、より深い次元で統合しようとする試みです。
汎心論(パンサイキズム / フィリップ・ゴフなど):
「意識は脳で作られるものではなく、素粒子レベルから宇宙のあらゆる物質に備わっている基本性質である」とする説です。複雑に組み合わさった結果が人間の意識だと考えます。
中立一元論(ラッセルなど):
この世の根本にある「何か」は、物質でも意識でもない中立的なものであり、それが一方から見れば「脳」に見え、もう一方から見れば「心」に見えるだけだという考え方です。
4. 非空間的・時間的アプローチ(「次元が違う」)
先ほどのヴィクトリア・トランブル氏やベルクソンに近い立場です。
持続の哲学:
意識を「空間的な配置(脳の構造)」で捉えるから解けないのであって、**「時間的な持続(変化し続けるプロセス)」**として捉えるべきだとする説です。意識は脳に「ある」のではなく、時間の中で「起きている」事象だとする視点です。
主要な回答の比較表
| 立場 | 代表的な主張 | ハード・プロブレムへの回答 |
| 錯覚主義 | デネット | 意識は脳が作り出した「便利な錯覚」に過ぎない。 |
| 属性二元論 | チャーマーズ | 物理法則とは別に、意識を記述する基礎法則が必要。 |
| 汎心論 | ゴフ | 意識は宇宙の最小単位(素粒子等)に既に含まれている。 |
| 新神秘主義 | マッギン | 人間の認知能力の限界により、この問題は永遠に解けない。 |
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