世の中にたえて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし
私も『伊勢物語』が大好きです。『伊勢物語』には「あの世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌があって、この歌の意味をお話しすると、「もし本当に世の中に桜がなかったら、桜が咲いたとか散ったとか、明日はもう散ってしまうかも、といったハラハラする気持ちになることもなかったのに」という想いが込められています。でも、この歌は桜について詠んだものでありながら、実は恋愛にも通じる内容となっています。
たとえば、「もしこんなに好きな人がいなかったら、こんなにハラハラすることもなかったのに」といった恋の心情が重なる部分がありますよね。そして、この歌の内容は現代で言えば「推し」にも当てはまると思います。推しのことをすごく好きな人は、桜を眺めるように「素敵だな」と思う時期があったり、「もうすぐ卒業してしまうかも」や「予想外の出来事で早くいなくなってしまうかも」といったハラハラする時期があったりします。
そんなとき、「推しに出会わない方がよかったのでは」と思うこともあるかもしれません。しかし、この歌は「桜があってこそ春の心がのどかだった」という結論を示し、「やっぱり出会えてよかった」と思えるような内容になっています。
だから、現代人にもぜひ読んでほしい歌だと思います。
・・・・
やっぱ恋だな。
アイドルに限らず、「幽玄」を意識したときの感動や切なさは、桜や恋愛、推し活など、さまざまな場面で感じられるものですね。
・・・
どんどん和歌が発展してきて、もう桜が咲いていないのに、桜が咲いていた時期を思って涙を流すような、そんな和歌が増えてきたんですよ。そして、それってAKBの曲にも通じる部分がたくさんあると思うんです。
・・・・
例えば、「桜の花びらたち」ていうほとんどデビュウ曲みたいな歌詞があるんですけど、この歌詞は、アイドル人生をこれから始める子たちに向けて卒業ソングを書かれるところが特徴です。
「どうして未来の希望に満ちた若者たちに卒業式の桜が散る歌を歌わせるのだろう?」と不思議に思うかもしれません。でも、それは幽玄と関係しているんです。アイドルを満喫している少女たちを見ながら、桜が散っていく様子を感じ、ファンは涙するんです。
それと同じように、この子たちにも散る時が訪れる、つまり卒業する時が来るんだと思いながら青春を楽しむ。それがAKBのコンセプトであり、和歌と全く同じ構造だと言えるんですよ。
ファンはAKBに幽玄を感じていたのか?
Perplexity
「幽玄(ゆうげん)」は、日本の伝統的な美意識を表す概念で、物事の奥深さや計り知れない趣きを指します。この美意識は、直接的に目に見えたり言葉で表現されたりするものではなく、その背後にある深い情感や余韻、暗示によって感じ取られるものです。
幽玄の具体例
以下に、幽玄の美意識を具体的な例を通じて説明します。
1. 和歌の幽玄
藤原定家の和歌「たまゆらの 露も涙もとどまらず 亡き人こふる 宿の秋風」は、亡き人への想いを詠んだものです。この歌では、露や涙が秋風に吹かれて留まることなく消えてしまう様子を描きながら、言葉に表れない深い悲しみや余情を読者に感じさせます。これが幽玄の「余情の美」と呼ばれるものです
・・・
幽玄の特徴
余情・余韻: 言葉や形には表れない深い感情や趣き。
暗示: 直接的ではなく間接的に伝わる美。
想像力: 鑑賞者がその奥深さを感じ取るためには想像力が必要。
このように、「幽玄」は日本文化特有の繊細で奥深い美意識を象徴する概念であり、多くの芸術分野に影響を与えています。
深いな。
0 件のコメント:
コメントを投稿