2026年5月8日金曜日

「北島マヤは一見平凡な少女だった。けっして美少女ではなく、成績もよくなかった・・・」

  図書館から1巻と2巻を借りて読んだ・・・設定も展開のしかたもベタだけど・・・・おもしれえぜ。

「明日のジョー」と「エースを狙え」をまぜたような印象・・・この次の巻も借りようと思ったら誰かが借りてた・・・予約待ちだな・・・いまでも借りる人がいるというのがスゴイ。     


  コンビニやファストフードで働いている外国人店員さんは本当によく教育されていて頭がさがる。
ほんの一部の不良外国人のために全部締め出しているのは日本の国益にもならない。

結局協力関係と管理だろうな。犯罪犯したら執行猶予でも確定したら強制退去。日本人からいじめられたら手助けをし、また風習のちがいによる原住民との摩擦について間に入る機関が必要。

自民党は無責任に入れるだけ。


 

背に腹は変えられない、ってやつだな。

  buveryさんがリポスト


リフォーム党ってなにかと思えば、このひとの党か・・・・わらっちゃうね。

ーー日本でも参政党伸びるだろうな。


 この2枚の高市さんの写真は日本人の中にはーー自称欧米通のーー「嘲笑されている」とみる向きもあるが、実際には好意的な取り扱いーーなんだとおれは思うよ。



 
 なるほどね。

ここまで読み込むわけか・・・・一つの解釈ではある。

絵画鑑賞の醍醐味のひとつははその絵画からこうやって自分なりの物語を紡ぎだすことでもある。また、そうした物語を喚起できることが絵画の価値でもあるーと最近思うな。


アクア

🌱 要約:ボールドウィン vs ニーチェ ― 悲劇をどう乗り越えるか

この記事は、
ジェームズ・ボールドウィン(作家) と
フリードリヒ・ニーチェ(哲学者)
が “悲劇をどう乗り越えるか” について、
まったく違う答えを持っていることを論じている。


🌿 二人の違い(核心)

1. ニーチェ

  • 悲劇は人生の本質
  • 苦しみは避けるものではなく、力への転換が必要
  • 人は苦しみを通して強くなり、自己を創造する
  • 「運命愛(amor fati)」=運命を愛し、肯定する
  • 個人の内的な力・意志が中心

👉 悲劇=自分を鍛える燃料


2. ボールドウィン

  • 悲劇は個人の問題ではなく、社会構造の問題
  • 苦しみは「強さの証」ではなく、不正義の結果
  • 悲劇を乗り越えるには、
    • 歴史を直視し
    • 他者との関係性を変え
    • 社会を変革する必要がある
  • 個人の力よりも、共同体・関係性・歴史が中心

👉 悲劇=社会が生み出す傷であり、変革が必要


🌊 二人の違いを一言でまとめると…

観点ニーチェボールドウィン
悲劇の原因人生そのもの社会的不正義
乗り越え方個人の力で肯定し変換する歴史と社会を変える
重視するもの個人の意志・強さ関係性・共同体・歴史
悲劇の意味成長の燃料不正義の証拠


Gemini

ご提示いただいた記事(IAI TV掲載の「Baldwin vs Nietzsche: How to Overcome Tragedy」)は、ジェイムズ・ボールドウィンとフリードリヒ・ニーチェという、時代も背景も異なる二人の思想家が、「人生の悲劇や苦難にどう立ち向かうか」という問いに対してどのように答えを出したかを比較しています。

要約と、二人の決定的な違いを整理しました。


概要:悲劇を「肯定」する二人

両者に共通しているのは、「苦しみから逃げる(あるいは目をつぶる)ことは、生を否定することだ」という冷徹なリアリズムです。彼らは、苦難を単なる不幸として退けるのではなく、人間が成長し、真に生きるための不可欠な要素として捉えました。


二人の決定的な違い

もっとも大きな違いは、「救済(克服)の向かう先」にあります。

1. フリードリヒ・ニーチェ:個人的・芸術的な「自己超越」

ニーチェにとって、悲劇を克服する力は「個人の意志」にあります。

  • 永劫回帰: 自分の人生が、その苦しみも含めて何度も繰り返されるとしても「然(しか)り」と言えるか?という問いを立てました。

  • 超人: 苦難を自分の運命として愛し(運命愛)、それを芸術的な高みへと昇華させる「強い個人」を目指します。

  • 視点: 彼の救済は極めて個人的なものです。他者や社会との連帯よりも、自分自身がいかに高貴な精神を持って絶望を乗り越えるかに焦点を当てました。

2. ジェイムズ・ボールドウィン:社会的・道徳的な「愛と連帯」

ボールドウィンにとって、悲劇(特に人種差別や歴史的抑圧)を克服する力は「他者との関係性」にあります。

  • 歴史の直視: 過去の悲劇や自分の傷を隠さず、正視することを求めます。自分を騙すことは、他者を愛する能力を奪うからです。

  • 愛としての責任: 彼は、苦しみを知る者がその経験を通じて他者と繋がり、社会全体の変革を促す「愛」を強調しました。

  • 視点: 彼の救済は集団的・倫理的です。個人の強さだけでなく、人間がいかにして共に生き、互いの痛みを認識することで、抑圧的なシステムを解体していくかを重視しました。


比較まとめ

特徴ニーチェボールドウィン
苦しみへの態度運命として愛する(運命愛)逃避せず、現実として直視する
克服の手段個人の意志、芸術的昇華他者への愛、社会的連帯
目指す姿孤高の「超人」誠実な「人間」と公正な社会
批判の対象キリスト教的道徳、弱者精神歴史的な欺瞞、白人のアイデンティティ神話

結論

記事は、ニーチェが「個人の魂の救済」を説いたのに対し、ボールドウィンはそれを一歩進めて、「他者との関わりの中で悲劇をどう共有し、社会の癒やしにつなげるか」という実践的な道徳を提示したと結論づけています。

ニーチェの哲学が「自分を強くする」ためのものだとすれば、ボールドウィンの哲学は「壊れた世界で共に生きる」ための処方箋と言えるかもしれません。

芸術は悲劇を美で緩和するが、悲劇を克服するのは愛だろうな。

 
自分

「高次元の情報が、低次元の面にすべて記録されている状態」がホログラムで3次元の宇宙は2次元の面にすべて記録されているが、それが投影展開されている状態がわれわれの宇宙ってこと?
Gemini

まさにその通りです!あなたの理解は非常に正確です。

その考え方を物理学では「ホログラフィック原理」と呼びますが、イメージをさらに具体化するために、いくつかのポイントに整理してみます。


1. 「情報の保存場所」と「体験している場所」のズレ

私たちが「ここにある」と感じている3次元の物体(リンパ、星、あるいは自分自身)は、実は「影」や「投影」のようなものであるという考え方です。

  • 2次元の「ソースコード」: 宇宙の地平線(果て)という2次元の面に、宇宙の全情報が量子ビット(Qubit)として記録されている。

  • 3次元の「レンダリング」: その情報が内側に向かって投影され、私たちが「奥行き」や「質感」を感じる立体的な世界として立ち現れている。

これは、コンピューターゲームのデータが「ディスク(2次元の面)」に保存されているのに、画面上では「広大な3次元の世界」として自由に動き回れるのと似ています。


2. なぜ「面」にすべて収まるのか?

普通に考えると、立体(3次元)の情報は、平面(2次元)よりも圧倒的に多いはずです。しかし、物理学には驚くべきルールがあります。

  • 表面積の限界: ある空間の中に詰め込める情報の最大量は、その空間の「体積」ではなく、それを取り囲む「表面積」によって決まることが数学的に証明されています(ベッケンシュタイン境界)。

  • 情報の圧縮: つまり、3次元空間で起きているすべての出来事は、それを包み込む2次元の皮(境界線)に過不足なく書き込み可能なのです。


3. 「投影」されることで何が生まれるのか?

この理論の最も刺激的な部分は、「重力」や「時間」さえも、この投影の結果として生じている二次的なもの(創発)だと考えている点です。

  • スクリーンの外には何もない: 投影の元となる2次元の面には「重力」は存在しません。しかし、そこにある量子情報が複雑に絡み合い(量子もつれ)、3次元に投影されるプロセスで、私たちが知る「重力」という現象が発生するという説です。

 自分とは誰か、自分とは何か?

 

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2012年に発行された49巻が今も最新刊 永遠の未完? 美内すずえ『ガラスの仮面』のsaleが始まった https://t.co/LQdw2jyQF2 — Spica (@CasseCool) May 4, 2026   図書館から1巻と2巻を借りて読んだ・・・設定も展開のしか...