2026年5月17日日曜日

酒は悪質な合法ドラッグ

 saebouさんがリポスト

提示された文章は、SNS上で起きた「酒を飲まないなら居酒屋へ行くべきではない」という主張(居酒屋論争)に対し、非酒飲みの立場からその主張の不当性を論理的・感情的に分析・批判したコラムです。

要約のポイントは以下の4点に集約されます。

1. 非酒飲みの主観と「飲食店」としての認識

非酒飲みの多くは、居酒屋を「酒頼める飲食店」と認識しており、料理を目的に通常の飲食店と同じ感覚で利用しています。看板に「酒」と入っていない店も多く、「酒を頼むのが義務」という発想自体がありません。そのため、十分な注文(売上への貢献)をしているにもかかわらず、後出しで「来るな」と言われるのは「寝耳に水」であると主張しています。

2. 「不文律(ローカルルール)」の妥当性の欠如

酒飲み側が主張する「居酒屋の文化や不文律に従え」という意見に対し、筆者は否定的です。居酒屋は自らの意志で一般の飲食店市場(検索サイトなど)に参入して営業している以上、守るべきは市場全体のルールであり、明文化されていないローカルルールを客に察しろと強要するのは筋が通らないとしています。

3. 社会的損失から見る「正当性」の逆転

アルコールは違法薬物以上に甚大な社会的損失(犯罪や経済的被害)を生み出している「ドラッグ」の一種であると指摘。その損失の上に成り立つ商売(居酒屋)やそれを消費する酒飲みこそが「社会へのフリーライダー(ただ乗り)」であり、非酒飲みの食事利用に難癖をつけるのは客観的な正当性を欠いていると論じています。

4. 感情的な対立の背景(「粋」への嫌悪感)

論争がここまで過熱した背景には、一部の過激な酒飲みが使う「粋・野暮」「常識・大人」といった言葉への強い不快感(感情的断絶)があると分析しています。自身の狭いマナーを一般社会に押し付ける「気持ち悪い大人」の態度に対する非酒飲み側のフラストレーションが、今回の論争で爆発したと結論づけています。


結論として

筆者は、「酒を飲まないなら居酒屋へ行くな」という主張には「一般的・妥当・正当」と言える根拠が一切ないとし、店側が拒否したいのであれば余計な敵意を向けずに「明文化(ルール化)」すべきだ、と締めくくっています。

酒は悪質な合法ドラッグ という認識を社会に広めるべきだな。

 

ここ数カ月イーロン・マスクが執着している話題がクリストファー・ノーラン監督手がけるホメロス叙事詩『オデュッセイア』の配役。 トロイア戦争のきっかけとなった絶世の美女ヘレネ役に黒人女優のルピタ・ニョンゴが配されると「クリス・ノーランは気骨を失った」と投稿。
そういうことだったのか?

 そもそも、「美女ヘレネ役」のイメージがなかったので黒人でも別にいいんじゃね、とはおもったが、黒人役を白人が演じたらまずいべ、という感じもする。

 その「感じ」の実態は、ブラックフェースや「ティファニーで朝食を」などで白人が他の人種をひどく演じてきた歴史があるからだと思う。そういった歴史や文脈を無視して論じることはできまいが、もう少し議論を見守りたい。


saebouさんがリポスト
右翼がデモの現場に着けないように壁つくるのはカウンターがよくやっていますので、理論上はその逆も可能でしょう。右翼がやれていないだけです。
左翼も右翼もやればいい、というのはスジがとおっているが、両翼で討論廃絶に走ったら・・・なんか混沌とした未来しか見えないなああ。 
saebouさんがリポスト
これは討論のなかであつかえばいい、というのが私見


ちなみに、おれは、その説がまちがってはいても、ホロコースト否定論者も討論会にでる機会を与えるべき派・・・そのほうがしっかり公の場で否定できて公にはっきりするから。

自分

 世界中に商品がビックマックしかなかったとして、日本が世界でビックマックを買える量は、一ドル360円時代と同じ、ということ?

日本市場でビックマックを買える量は、G7国と比べてどうなの?

まとめ
  • 世界市場(Big Macだけなら): はい、150円時代でも360円時代並みの購買力しかなく、投稿は的を射ています(REERやPPPで確認可能)。
  • 日本国内市場: Big Mac価格はG7最安クラスですが、賃金比の手頃さはG7下位。生活実感としては「輸入品・海外はきつい、国内食品は比較的マシだが全体的に伸び悩み」。

   ただし、これは簡易指標。家賃・エネルギーなどの生活コスト全体では例えばUKも圧迫感が強い国の一つです。

 

自分 

英国と日本をMcWagesでビックマックが何個買えるか、比較してみて

 英国と日本のMcWages(McDonald’s店員の時給で買えるBig Macの個数)を比較すると、両国とも先進国としては中間〜下位クラスです。 以下は2025-2026年現在のデータに基づく目安です。

最新の前提データ
  • 日本:
    • Big Mac価格: 約¥500(最近値上げ後、税込)。
    • McDonald’s crew(店員)時給: 約¥1,100〜¥1,250(東京など都市部でこのレンジが多く、全国平均や最低賃金に近い水準は¥1,000〜¥1,200前後)。
  • 英国(UK):
    • Big Mac価格: 約£5.99〜£6.29(USD換算で約$5.73)。
    • 21歳以上National Living Wage(最低賃金): £12.21〜£12.71。
    • McDonald’s店員時給: 最低賃金近辺〜やや上(地域により£10〜£13超)。
McWages比較(1時間労働で買えるBig Mac個数)
  • 最低賃金 / 店員レベル:
    • 日本: 約2.2〜2.4個(¥1,100÷¥500 ≈ 2.2個、¥1,200÷¥500 ≈ 2.4個)。
    • 英国: 約2.0〜2.1個(£12.71÷£6.10 ≈ 2.08個)。

へええ。

なかなか単純には比較できないものだね。

自分

この投稿の動画を要約評価して。

Grok 

動画の要約(約1分15秒のクリップ):Bill Maher(ビル・マー)がスタジオでカメラに向かって語る内容で、主にアメリカの若者(特に左派・プログレッシブ層)が自国(アメリカ)とイスラエルを嫌い、代わりにハマスやイスラム主義勢力を「解放運動」として美化している点を強く批判しています。主なポイント:
  • 若者たちが「自分たちの文明(西洋・アメリカ的価値観)」を嫌い、ハマスを支持したり、フーシ派のスローガンを叫んだりしている。
  • イラン・サウジなど女性の人権が極端に抑圧され、宗教の自由がなく、異論は死刑になるような社会を「理想視」している矛盾を指摘。
  • Coachellaでの「Fuck Israel, Free Palestine」の投影に拍手が起きること。
  • Globalize the Intifada(全世界でインティファーダを)」というスローガンの危険性(世界的な自爆テロや暴力の呼びかけ)。
  • AOCやBernie Sandersの集会で、パレスチナ旗がアメリカ国旗にかぶせられ、拍手喝采された場面を挙げ、「これが自由の象徴ではない」と非難。
  • 全体として、反アメリカ・反イスラエル感情が反文明的で自己破壊的だと切り捨てています。映像では抗議デモ、女性のブルカ姿、コンサートや集会のシーンが挿入され、視覚的に強調されています。
これは彼の最近のモノローグ「New Rule: No Jews, No News」からの抜粋で、反ユダヤ主義(antisemitism)が「反イスラエル」や「反シオニズム」に隠れて広がっているという文脈です。 評価:強み(説得力のある点):
  • 一貫性と二重基準の指摘は的を射ている。Maherは長年リベラル寄りですが、イスラエル批判が過度に偏り、他国の深刻な人権侵害(中国のウイグル、シリア内戦など)への無関心と比較して「なぜイスラエルだけ?」と問うのは論理的です。
  • 西洋の若者が自分たちの自由・民主主義・女性の権利を守る価値観を軽視し、抑圧的な体制をロマンチック化する現象は、確かにTikTok世代などで観察される問題です。
  • コメディアンらしい辛辣で簡潔な語り口。短いクリップでもインパクトがあります。
弱み・批判される点:
  • 文脈の単純化: イスラエル・ガザ紛争の死者数や人道的状況(特にガザの民間人被害)を一切触れず、批判者を一括りに「反アメリカ・反文明」とする点は、相手側から見れば一方的です。パレスチナ側の主張(占領、ブロック、死者比率など)を無視した「親イスラエル寄り」の主張に見えます。
  • Maher自身がユダヤ系(半分)であることを指摘され、「偏っている」との反発を呼んでいます(投稿の replies でも多数)。
  • 「Globalize the Intifada」などの過激スローガンは確かに危険ですが、すべての反イスラエル意見をこれに結びつけるのはステレオタイプ化のリスクがあります。合法的な政策批判と反ユダヤ主義の線引きが曖昧になる可能性。

妥当な評価じゃない? 




💡 要約

プラトンが詩人を理想国家から追放しようとしたように、伝統的な哲学は「単一の真実」を表すために直線的で即物的な言語を好んできました。しかし、エミリー・ディキンソンの詩が示すように、詩は言語の「曖昧さ」を受け入れることで、哲学の理論だけでは捉えきれない「人間の内面(自己)のリアリティや経験の重み」を鮮明に描き出す強力な思考ツールになります。

📌 主要なポイント

  • 哲学と詩の対立と偏見:

    一般的に、哲学は論理や論証で「真実」を語る強固なものとされ、詩はイメージや比喩を用いる情緒的で中身のないものと見なされがちです。

  • 詩が持つ独自の役割:

    詩は、私たちが何に価値を置き、どう存在しているかという「自己の姿」を視覚化し、生々しい証拠として提示してくれます。

  • ディキンソンの「自己」への探求:

    詩人エミリー・ディキンソンは、告白や神秘主義としてではなく、客観的かつ客観的な探求(いわば哲学的アプローチ)として自らの内面を見つめ、詩ごとに異なる多様な「自己のイメージ」を提示しました。

  • 具体的経験の提示(「脳の中の葬儀」を例に):

    ディキンソンの詩(『I felt a Funeral, in my Brain』)は、絶望や精神の崩壊がどのような感覚であるかを比喩を通して追体験させます。哲学や科学の理論(神経の誤作動の解説など)では説明しきれない「経験そのものの重み」を、詩は思考し、伝えることができます。


結論:

詩は単なる装飾ではなく、人間の内面的な経験を明晰に探求する「哲学の一形態」です。自己の本質を理解するためには、哲学も詩が持つ思考の力に目を向ける必要があります。


Magdalena Ostas argues that poetry's embrace of ambiguity is a way of capturing reality's inexhaustibility that literal language simply can't.

実在のほうもambiuguous でinexhaustible なんだろうな。

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