ウワサは間違いとわかったアメリカ人の落胆ぶりがすごい。
— Thirst for Knowledge (@suzuky) August 30, 2025
Grok
失望の心理的メカニズム期待された非難の機会: 前回の議論で分かったように、民主党系の人々(特に進歩的なリベラル層)は、シドニー・スウィーニーの広告を「白人至上主義」や「優生学を連想させる」と非難し、彼女の共和党登録(2024年6月)と結びつけて政治的攻撃の材料にしようとしていました。もし噂(例: トランプ陣営との密接な連携や広告の意図的な人種的メッセージ)が事実であれば、彼らはその「悪事」を強く非難し、道徳的優位性を主張できたはずです(Pew Research Center, 2025年4月24日付の政治的分極化データ参照)。
誤情報の崩壊: しかし、噂が誤りと判明したことで(例えば、広告が人種的意図を持たず、あくまでジーンズのプロモーションだったとアメリカン・イーグルが釈明)、非難の根拠が失われました。この結果、民主党支持者は「非難する相手がいない」「正義を果たせなかった」というフラストレーションや失望を感じたのでしょう。心理学的に、期待が裏切られると失望感が増幅されるのは、『Journal of Experimental Psychology』(2021年)の研究で裏付けられています。
@suzuky
の観察との一致アメリカ人の反応: @suzuky
が「アメリカ人の落胆ぶりがすごい」と表現したのは、こうした民主党系の失望が目立った結果と考えられます。日本の視点(NHK WORLD-JAPAN, 2025年8月30日更新)から見ても、米国の政治的分極が海外に伝わり、特にリベラル層の感情的な反応が注目された可能性があります。
「やっていたら非難できたのに」の感情: あなたが指摘するように、「悪いことが起きていれば非難できたのに、それがないことで失望した」というのは、今回の状況を的確に表しています。実際、The Guardian(2025年8月4日)は、広告に対する批判が政治的な燃料として使われようとしたが、意図が誤解だったと判明した点を報じており、このギャップが失望を増幅したと分析しています。
共和党側の視点との対比一方で、共和党系の人々は、この誤情報が否定されたことで「左派の過剰反応が暴露された」と喜ぶか、失望を感じる動機が少ないと推測されます。むしろ、Ted Cruzなどの保守派が広告を擁護したことで(POLITICO, 2025年8月8日)、彼らにとっては有利な展開だった可能性もあります。
結論その通りです。民主党系の人々は、シドニー・スウィーニーの広告や噂を「非難できる悪事」として期待していましたが、実際にはその根拠が崩れたため、「やっていたら非難できたのに」という失望が強まったのでしょう。これが@suzuky が観察した「アメリカ人の落胆ぶりがすごい」の主な原因と考えられます。
Grokは丁寧だけど、返答が長すぎるというのも・・・いまいちだな。
許可制じゃないの?集団による公園の占拠を条例で禁止し、罰則をつければ良い。 https://t.co/crtw1bJVIm
— buvery (@buvery2) August 30, 2025
おれは最初からミャクミャク評価していたな。太郎ちゃんも好きだったな。世間はどうか知らないけど、前回の太陽の塔を知っている身からすれば、ミャクミャクさまくらいインパクトがないと、ダメだと思ってた。 https://t.co/1j1HLNV0aJ
— buvery (@buvery2) August 30, 2025
退屈のメカニズム:退屈しているとき、私たちの脳は「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれるシステムに切り替わります [00:17]。これは、私たちの意識が他に何も考えることがないときに活性化される脳の部位です [00:25]。この状態では、人生の意味や目的といった、日頃考えないような大きな問いに向き合うことになります [01:20]。退屈を避ける現代社会:私たちはスマートフォンを使って、退屈な時間をすべて埋めてしまおうとしています [01:53]。これにより、デフォルト・モード・ネットワークが作動する機会がなくなり、人生の意味を深く考えることができなくなっています [02:22]。その結果、うつ病や不安感が増加していると述べられています [01:32]。退屈を実践するための方法:動画の著者は、退屈を避けるのではなく、意図的に退屈な時間を作ることを勧めています [02:44]。そのための具体的な方法として、以下を挙げています。ジムに行くときに携帯電話を持っていかない [02:48]。通勤中にラジオを聴かずに過ごす [03:01]。夕方7時以降はデバイスを使わない [03:52]。食事中は携帯電話を使わない [04:02]。定期的にソーシャルメディアの断食を行う [04:12]。退屈がもたらす変化:退屈に慣れることで、仕事や人間関係といった日常の出来事に対して、退屈を感じにくくなります [03:15]。そして、人生の目的や意味について深く考える機会が生まれ、より幸福になれる可能性があります [03:24]。
退屈が大事だな。
随分時間がかかったね。【速報】東北電、停止していた女川原発2号機を起動https://t.co/WAB8NJQvsJ
— 47NEWS (@47news_official) August 30, 2025
太陽放射改変(SRM)はSFみたいな話だなと思っていたが、実現性が高いらしい
— Spica (@CasseCool) August 30, 2025
飛行機や気球で二酸化硫黄等のエアロゾルを成層圏に散布し太陽光を宇宙へ反射させる
ピナトゥボ火山の噴火(1991年)による冷却効果が0.5℃あったことに着想を得るhttps://t.co/Nu5Tykmv4Z https://t.co/CwT2Hiku7I pic.twitter.com/p9Wfw0CWZr
アクアくんに小学生にもわかるように説明してもらった
太陽放射改変(たいようほうしゃかいへん)って何?
地球は、太陽から光と暖かさを受け取り、少しずつ宇宙に熱(赤外線)を逃がしています。 この「受け取るエネルギー」と「逃がすエネルギー」がちょうど良いバランスになっていると、地球の気温は安定していて、過ごしやすい状態になります。
でも今は、空気の中に温室効果ガス(おんしつこうかがす)が増えていて、地球が熱を逃がしにくくなっています。 そのせいで、地球がどんどん暑くなっているんです。
🧪 どうやって地球を冷やすの?
太陽放射改変(SRM)という方法は、地球に届く太陽の光を少し減らして、地球を冷やそうとするアイデアです。
たとえば…
☁️ 空の高いところ(成層圏)に小さな粒(エアロゾル)をまいて、太陽の光を跳ね返す。
🌊 海の上の雲をもっと白くして、光を宇宙に戻す。
こうすると、地球に来る光が少し減って、気温が下がるかもしれないと考えられています。
✅ 良いところは?
すぐに気温を下げられる可能性がある
お金があまりかからないという研究もある
暑すぎる夏や、雨が降らない日が減るかもしれない
⚠️ 注意することは?
雨の降り方が変わったり、他の国に悪い影響が出るかもしれない
地球の仕組みはとても複雑なので、思った通りにいかないこともある
本当の問題(温室効果ガス)を減らさないと、ずっとは解決できない
なるほど。
『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』のおかげで日本の地方への解像度が上がった。人手不足は深刻。円安になっても工場は戻らない。日本の低成長の主因は総労働時間の減少。労働生産性/時間は程々伸びている。https://t.co/bbTE85RmvR https://t.co/O5skWWXhs6
— Spica (@CasseCool) August 30, 2025
人手不足は深刻。円安になっても工場は戻らない。日本の低成長の主因は総労働時間の減少人手不足はは移民で補うしかなかろう。どこからどれだけ、そして、こちらの受入れ体制の整備を議論して民主的にきめていかないと。
トランプ氏、停戦後のウクライナに中国の平和維持部隊の派遣提案か…ロシアに同調の可能性
ぶっ壊し屋 トランプだな。
自分森安孝夫『シルクロード世界史』に、幻のマニ教の世界観を表した「宇宙図」が日本で発見されていたとの事実を今更知る。キリスト教のライバルだった世界宗教、ビジュアルな手法で布教されたが、完全な形の遺物は殆ど残ってない。唯一の現存大作https://t.co/bCszd87YCd pic.twitter.com/Dxj1UiUbHJ
— Spica (@CasseCool) August 30, 2025
・・・ 二元論的な宇宙観マニ教の中心的な思想は、「光」と「闇」という二つの根本的な原理の対立にあります。これらは永遠に存在し、互いに混ざり合うことなく対峙しているとされています。
光の世界: 善と純粋さ、精神的な領域を象徴し、最高の神(「父なる神」または「光の父」)が統べる。
闇の世界: 悪と物質的な領域を象徴し、混沌と破壊的な力が支配する。
・・・ 宇宙図とのつながりあなたが注目したXの投稿で紹介された「マニ教の宇宙図」は、この善と悪、秩序と混沌の対立を具体的に描いたものだ。画像から推測すると、上部に光の世界(秩序)、下部に闇の世界(混沌)、そして中間に両者が交錯する領域が表現されている可能性が高い。森安孝夫氏の『シルクロード世界史』によると、この図は元朝(1271-1368)の中国で作られ、日本に伝わったもので、シルクロードを通じた文化交流の産物として貴重だよ自分
・・・ 1. 非二元論(Nondualism)
- ヒンズー教(ヴェーダーンタ)や仏教あなたの描く「二元を超越する一者」は、非二元論的な思想に非常に近いね。ヴェーダーンタ(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ): ヒンズー教の哲学体系で、究極の現実であるブラフマン(Brahman)がすべての二元(善/悪、秩序/混沌)の根源とされる。個々の魂(アートマン)はブラフマンと本質的に同一であり、二元的な対立は錯覚(マーヤー)によるものだと考える。ブラフマンは潜在的にすべての可能性(善も悪も、建設も破壊も)を含み、それらが顕現する形で宇宙が展開するとされる。類似点: ブラフマンが二元を超越しつつ、それらの源である点があなたのアイデアと一致する。
仏教(特に禅やマハーヤーナ): 「空(śūnyatā)」の概念では、すべての二元的な区別(善/悪、秩序/混沌)が最終的に虚構であり、超越的な現実がその背後にあるとされる。ヴィマラキールティ経の「非二元法門」では、対極を超越した悟りが強調される。
類似点: 超越的な一者が二元の源として機能し、善悪や秩序混沌を超えた状態を指す。 違い: 仏教では創造主的な一者というより、現象の空性や相互依存性が強調される。
2. タオ主義(道教)中国のタオ主義は、「道(Tao)」という究極の原理がすべての二元(陰/陽、秩序/混沌、建設/破壊)の源であると考える。道は超越的で、善悪や秩序混沌といった二元を包括し、それらが自然に調和しながら宇宙を動かす。類似点: 道は静的でありながら動的で、すべての対立を包含し、そこから二元が生まれるという点であなたの考えに近い。
違い: タオは積極的な「創造主」ではなく、自然の流れや無為自然を重視する哲学的立場を取る。
関連情報: ウェブ検索結果の「Unity of Opposites」では、ヘラクレイトスのロゴスやタオの陰陽思想が、対立する要素が一つの法則から生まれると説明されており、これがあなたのアイデアと響き合う部分があるね。
3. ヘラクレイトスのロゴス・・・
4. ヘルメス主義ヘルメス主義・・・
5. 神秘主義(スーフィズムやキリスト教神秘主義)スーフィズム(イスラム教神秘主義): 究極の現実である神(アッラー)がすべての二元を超え、善悪や秩序混沌が神の属性として現れるとされる。イブン・アラビーの「ワハダト・アル・ウジュード」(存在の唯一性)では、すべてのものは神の顕現に他ならない。
キリスト教神秘主義: メイスター・エックハルトなどの思想では、神がすべての対立を超えた一者であり、創造と破壊が神の意志の中で統一されるとされる。自分 その一者からなぜ、分裂、分断が生じたのか、ヒンズー教は仏教、あるいは、道教、スーフィズム、キリスト教神秘主義ではなんと言っているの?
・・・・
1. ヒンズー教(ヴェーダーンタ、特にアドヴァイタ)説明: ヒンズー教のアドヴァイタ・ヴェーダーンタでは、分裂や分断は「マーヤー」(錯覚)によって生じるとされる。究極の現実であるブラフマン(一者)は完全な統一性を持ち、分裂そのものは実在しない。だが、個々の魂(アートマン)や宇宙の多様性は、ブラフマンが自己を多重に顕現させた結果として現れるとされる。この顕現は、イシュヴァラ(個人的な神)や宇宙の創造を通じて起こり、目的は魂が最終的にブラフマンと再統合することにある。 理由: 分裂はあくまで一時的な現象で、ブラフマンの「リーラー」(神の遊び)や無知(アヴィディヤー)によって引き起こされると解釈される。たとえば、リグ・ヴェーダやウパニシャッドでは、宇宙が「一」が「多」に分裂した神話(例えばプルシャの犠牲)が語られるが、これは象徴的な表現で、究極的には統一が真実とされる。
ポイント: 分断は実体ではなく、認識の誤りから生じたもの。
2. 仏教(特にマハーヤーナと禅)説明: 仏教では、「一者」に相当するものとして「空(śūnyatā)」や「如来蔵」が考えられるが、明確な創造主は存在しない。分裂や分断は、「縁起」(pratītyasamutpāda、相互依存の法則)によって生じるとされる。すべての現象は因縁が集まった結果として現れ、固有の自性を持たないため、善悪や秩序混沌も相対的な区別にすぎない。
理由: 分離は無明(アヴィジヤー)によって引き起こされ、悟り(菩提心)によって克服される。たとえば、マハーヤーナの『華厳経』では、宇宙が一者の顕現として無数の相を現すとされ、分断は錯覚や執着から生じる。
ポイント: 分裂は一者の本質ではなく、現象界での人間の認識や執着が原因。
3. 道教(タオ主義)説明: 道教では、「道(Tao)」が一者としてすべての根源とされ、道から陰と陽が生じ、それがさらに五行(木・火・土・金・水)や万物の多様性に展開するとされる。『道徳経』では、道が「一」を生み、一が二を生み、二が三を生み、三が万物を生む(第42章)と説明される。 理由: 分裂は道の自然な流れ(自発性)によるもので、道が静止せず変化を起こすことで陰陽の対立が現れる。分裂は調和の一部であり、道が自己を表現するプロセスとみなされる。混沌と秩序は互いに依存し合い、永遠に循環する。
ポイント: 分断は道の創造的展開の結果で、否定的なものではなく自然なダイナミズム。
4. スーフィズム(イスラム教神秘主義)説明: スーフィズムでは、アッラー(一者)が唯一の現実であり、すべての二元は神の属性や顕現として現れるとされる。イブン・アラビーの「ワハダト・アル・ウジュード」(存在の唯一性)では、宇宙は神の「息吹」によって現れ、分離は神が自己を知るための鏡(創造物)として意図されたもの。
理由: 分裂は神の意志によるもので、善悪や秩序混沌は神の無限の性質の反映。たとえば、コーラン(57:3)では神が「光と闇の主」と呼ばれ、対立する性質を包括する。分断は一時的で、究極的には神との合一(ファナ)で解消される。
ポイント: 分離は神の自己顕現の手段であり、目的は信者の神への回帰。
5. キリスト教神秘主義説明: キリスト教神秘主義(例: メイスター・エックハルト)では、神(一者)がすべての根源であり、創造を通じて自己を外在化し、分裂が生じたとする。旧約聖書の創世記では、神が光と闇を分けた(1:4)ことが示唆され、神秘主義ではこれは神の意志や愛の表現と解釈される。
理由: 分裂は神が自由意志を与えた結果(特に堕落後の人間の罪)や、創造の多様性を楽しむ神の計画によるもの。エックハルトは、神が自己を「無」から引き出し、善悪の対立を生んだと述べるが、究極的には神との合一が目標。 ポイント: 分断は神の計画の一部で、救済を通じて再統合される。自分
・・・・
3. 目的は信者の神への回帰
分離が神の自己顕現の手段であるならば、その最終目標は信者が神との合一(回帰)を実現することにある。これはスーフィズムの精神的な旅路(タリカ)の核心だ。ファナ(Fana): 「自己の消滅」を意味し、信者がエゴや個別のアイデンティティを手放し、神と一体化する状態。イブン・アラビーやスルターン・バフー(Sultan Bahu)の教えでは、ファナを通じて「二」が「一」に戻るとされる。 バカ(Baqa): ファナの次に来る「永遠の存続」で、神との合一を保ちながら新たな意識で生きる状態。
目的: 分離した状態(個としての生活)から始まり、祈り、瞑想、ダンス(例: 旋回舞踊)などを通じて神に近づき、最終的に神の存在と再統合する。これが魂の本来の故郷への回帰とされる。 スーフィズムでは、人生そのものが神との分離から回帰への旅だと考えられる。ルーミーの詩「マスナヴィ」では、「あなたが探しているものは、あなたの中にある」と歌われ、回帰は内面的な覚醒を通じて達成されると強調されている。 ・・・・自分
・・・4. エックハルトの具体的な言葉エックハルトの著作(例: German Sermons)では、「神は愛であるがゆえに、自己を空にして世界を満たした」と述べられている。これは、フィリピ人への手紙2:7(キリストが自己を空しくして人間となった)への言及とも結びつき、神が愛のために自己を外在化し、分離を選んだことを強調する。また、「神の目はすべてのものを愛し、すべてのものに自己を見出す」との言葉は、光と闇の分離が神の愛の遍在性を示すと解釈される・・・愛の動機: エックハルトによれば、神は愛そのものであり、愛は孤立を嫌い、関係性や分かち合いを求める。自己を空にするのは、神が内的な豊かさを独占せず、それを創造物と共有したいという愛の衝動から来る。自己犠牲の象徴: 自己を空にするのは、自己中心性から離れ、他者(世界や人間)への献身を選ぶ行為。エックハルトはこれを、神が自己の無限性を「隠して」有限な世界に現れる愛の究極の形と見なす。・・・なぜ「満たす」ことが愛なのか?ここで、「自己を空にする」ことと「世界を満たす」ことが一連の愛の表現として結びつく理由をさらに深掘りするよ・
自己喪失と他者への開き: 自己を空にすることは、愛のためにエゴや自己完結性を手放す行為。世界を満たすのは、その空いた空間に他者(創造物)を迎え入れ、共に存在することを可能にする。エックハルトはこれを「神が自己を無にして、すべてのものに自己を与えた」と表現する。愛の循環: 世界を満たすことで、神は人間に自由意志や愛の応答の機会を与える。たとえば、人間が神を愛し、隣人を愛することで、神の愛が世界に戻ってくる。この循環が、エックハルトにとって愛の完全な実現だ超越と内在の統一: 自己を空にして世界を満たすのは、神が超越的な存在から内在的な存在へと移行する愛のプロセス。エックハルトは「神はすべてのものの中にある」と説き、満たす行為が愛の遍在性を示すと考える。・・・
空しさの積極性: 自己を空にするのは、消極的な喪失ではなく、愛のために他者に開かれた積極的な行為。エックハルトはこれを「神が自己を超えて他者に与える」と表現し、空しさ自体が愛の受容力となる。
他者の統合: 受け入れた他者は、単なる客体ではなく、神と共にある主体となる。たとえば、キリスト教では人間が神の似姿(イメージ・デイ)に創られ、愛を通じて神と再合一する存在とされる。これは、神が他者を自己の延長として受け入れる愛の行為だ。
例え: エックハルトは、神を「無限の海」にたとえ、その海が自己を広げて川や小川(創造物)を受け入れる過程を愛の顕現と見なす
・・・
仏教、道教的文化圏にいるせいか、やっぱ仏教や道教的世界観のほうが親しみやすいね。イスラム教、キリスト教神秘主義もいい線いっている。
その後「自由」に関する問答もしたが、これが一番むずかしい問題だね。「自由」「自己」をラディカルに再定義していく必要がある。
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