新しい人間の形成」という戦後の息吹を感じさせるテーマで、「新しい人間」が再出発した日本で民主主義を胸いっぱいに吸い込みながら、新しい「モラル」を形成しようという志高き試みであった。一高生の島田豊や東大生の沖浦和光も積極的に発言し、参加者は、宮本百合子や宮本顕治にも批判や疑問を忌憚なく呈している。そんな自由な気風が組織でも日本社会でも普通だったのだ。 1955年の「6全協」で「アカハタ」の編集責任者になった宮本顕治は、広く紙面を社会に開放して、各界文化人による共産党への期待と忌憚なき批判、専従活動家の妻の座談会など、低い視線で企画を実現していた。いまから70年も前の取り組みである(『日本共産党への手紙』の「あとがき」参照)。いま共産党はそのころの気風を民主主義の伝統として継承できているだろうか。社会変革の志を持って組織に加盟し、あるいは周辺で支え、支持している人たちが、前に向かって結束できる自由で開かれた政党へと発展してほしい。時間は永遠に続くが、共産党にとっては大きな岐路だ。「脱皮しない蛇は死ぬ」(ニーチェ)。頑張ってほしいよなあ
"The snake which cannot cast its skin has to die. As well the minds which are prevented from changing their opinions; they cease to be mind."
0 件のコメント:
コメントを投稿