2025年5月19日月曜日

意地を見せたんじゃ?

男女兼用トイレなんて昔からあった。一部の右翼がアメリカ人右翼をまねて男女兼用トイレを非難しているがなにをいまさら、という思い。

 橋下徹

『米の値段がなかなか下がらなければ

輸入したら良いじゃないですか?

農家さんが困るんだったら、それは

別でしっかり政策をする

何でそんなシンプルな事が分からないん

ですか?』

おれもそう思う。なんで「脳死」ブルブルするのか?・・・・わからん。 

 

コメント欄・・・・そんな否定的ではない。 

 saebou reposted どこが不適切かおしえてほしい。 

 saebou reposted 「女の子に出産と子育ての重要性を教え込む」というより、性別かかわらず「出産と子育ての重要性」を教育する、というならわからなくもない。

多夫多妻はあたらしい家族の形態として理論上ありえなくもなかろう。
女性にだけ我慢や努力を押しつけている。保育制度の整備も、職場環境の改善も語らず女性が合わせろと言っている

 

出産しない人生も尊重される社会でなければならない。

これはその通りだな。 

 たしかにつっこみどころ満載の演説だが、「大学行くのも大変だが、子ども育てるのも大変ですから」というところは活かすべき。

 大卒就職組が子育て担当者より「賃金」が高い、というか、金銭的に高く評価されるというのは、正されるべきなんだろうな。以前上野千鶴子さんだかどっかのフェミニストが主婦のする仕事の賃金計量化みたいのをしてたけど、子育てという仕事は金銭的もっと評価されていいのかもしれない。

 

 カソリックには例えば靖国参拝に否定しない人たちがいたはずだよな・・・検索すると・・・

  The Catholic Church and Yasukuni shrine
In the 1930s, children in Japan went to Shinto shrines as a school activity. In response to a query from the archbishop of Tokyo, the Ministry of Education declared such visits a manifestation of loyalty, not a religious activity. Therefore, the Vatican said Catholics could visit shrines, since such visits were a matter of patriotism rather than religion. After the war, shrines were denationalized and incorporated as religious entities. So, at the first postwar gathering of Japan’s bishops in 1946, Catholics were told they should no longer visit them. Apparently, though, some people felt that the earlier Vatican decision took precedence. They secured a declaration in 1951 from the same cardinal who had issued the 1936 statement, saying that the older policy remained in force. Perhaps the cardinal did not want to admit that he had earlier made a mistake. So, until their generation finishes dying off, there will be Catholics who go bow before Yasukuni’s enshrined war dead. 1930年代、日本の子供たちは学校行事として神社に参拝していました。当時、東京の大司教からの問い合わせを受けた文部省は、この参拝を忠誠心の表れであり、宗教活動ではないとしました。そのため、バチカンは、参拝が宗教ではなく愛国心の一環であるとして、カトリック信者による神社参拝を認めました。 しかし、戦後に神社は国有化が解除され、宗教法人としての立場を持つようになりました。その結果、1946年の戦後初の日本の司教団の集会で、カトリック信者は神社参拝を控えるべきだと伝えられました。ただし、一部の人々は1936年のバチカンの判断が優先されると考え、1951年に同じ枢機卿により以前の方針が維持されると宣言されました。おそらく枢機卿は、自らの以前の判断が間違いだったとは認めたくなかったのでしょう。そのため、世代交代が進むまで、一部のカトリック信者が靖国神社の英霊に頭を下げ続ける状況が続くと考えられます。


 おれはどちらかというと多神教派で、アブラハムの神は独りよがりで嫉妬深く支配欲が強い・・・がそうしたやつ=神も赦す、という立場だな。

 そんなやつ=神を文字通り信仰している人たちはヤバいな、と思う反面、彼らのなかには、弱者に寄り添う気持ちもありそのために献身的に働く人達もいて、それは尊い、と思っている。

 saebou reposted

saebou さんの評価は低いようだが、観に行こうかな。

saebouさんの映画批評は優れている。お見事! といいたい。一読推奨。

映画評のお手本とすべき。まず、この論評の型をまねるべきかも。


saebou  学術会議って一体なにをやっているところで、なぜ、必要なのか?おれもわからんし、わからん国民も多いのでは? 

 医者、弁護士、学者先生たちは頭ええから、うまいこといってbullshit job で地位と金を得ているだけじゃないのか、という疑いもある。 Burn (2019 film) 

あらすじみるとすごいが、この映画はsaebou 先生の評論が必要だな。
とにかく義務教育と公立学校は無料に・・・・私立は余裕がなければ補助金を減じる、というのはどうか?  働くことがLabourではなく、生きがいに繋がることもあり、たぶん、「欧米」より多少肯定的かもしれない、とは思うな。 職人気質というのか・・・ それは、あるが、しかし、労働に関しては、

  2024年5月16日(木) 「人間の自由」と社会主義・共産主義――『資本論』を導きに 学生オンラインゼミ 志位議長の講演(3)
資本主義のもとでの「人間の自由で全面的な発展」にむけた「自由に処分できる時間」を獲得するたたかいは、「利潤第一主義」からの自由をかちとる社会変革のエネルギーになってきます。すなわち、第二の角度の自由――「人間の自由で全面的な発展」にむけて「自由な時間」を獲得することは、第一の角度の自由――「利潤第一主義」からの自由を実現する条件になってきます。
この視点も重要だ、とおれは思う。

 マスクス主義者のなかで志井さんのこの解釈がどう評価されているかも興味のあるところ。
そりゃカソリックから離脱したイングランド国教会(Church of England)の首長としての意地をみせたんじゃないの?

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