最近やっぱね日本を あの叩くと人気が数字がグって上が るっていうあの風潮があって中国はまこれ はまあの前回あの動画も言ったんですけど ・・・・どんだけ嫌いだとしてもこんなの普通に 常識としてはもうありえないんですよその 人の行為一つによって もう全ての中国人が同じように見られてる 特に今このご時世でそんなあのちょっとね 悪いことだけピックアップされる世界だ 02:11 からこういうことによってあの今後 ちょっと中国人とか差別されたりとかする んですよ 別に差別されてもいいんだ けど ・・・・でやっぱ あやつを崇拝する中国のあのネット民とか 見ててかわいそう中国しか見てないからで ラス俺は日本嫌いだぞ俺は反日だぞってて いうことを誇りを持って色々やってるのか 見てていたいもっとなんだろう視野を広げ ていろんなところ見てみようぜっていう俺 思うんだよなもう可いそうになってきた 03:17 ・・・ 中国人もいるから例えばコメントとかね ちょっとあののお前こんなことは恥だぞと かもう中国の恥だぞって言ってる人もいる んですけどでもやっぱね賛成する声が結構 多い・・・・・ あの中国のサイトであの この人の行とかあの探してみたのでそし たらあのいっぱいその人を報道する ニュースの下にお前は英雄だとかお前 ヒーローやみたいなお前のこの行為は歴史に 残るみたいなこと言ってるんですけどあの 人犯罪者じゃん犯罪者を英雄呼ばわりし てるんですよ
中国人を十把一絡げにするのは間違っているが、岸田首相はこっちは「怒っているぞ」ということを示すなにかすべきでしょう?・・・
なにもできない岸田首相は記帳も含めてすべて個人の資格で靖国に行って戦死者の霊たちに謝罪の参拝にいくべきだ若い頃マレーシア人と話したことが会ったけど、日本について知っているのは日本軍が残虐だったこと・・・・日本軍がインドネシアやマレーシアやミャンマーを独立させた事実はありません。逆に占領支配しています。たとえばカリマンタン(ボルネオ)で日本軍は2万人を反乱分子として逮捕し、密かに皆殺しにて埋めた事実が戦後に発覚しています。 https://t.co/v4ySnmX5K5 pic.twitter.com/U65elwJ9hT
— 町山智浩 (@TomoMachi) June 5, 2024
批判は大事、だけども批判だけでは足りない、対案をだせ、対案がなければ現状でいいということか? という簡単な話。小田嶋くんが亡くなってから二年になるけれど、こういうツイートが流れてくると、まるで彼が生きているみたいに思い、そして彼の言葉が生きていることがわかって、Twitterも悪くはないと思わされる。
— 古屋美登里 Midori Furuya (@middymiddle) June 5, 2024
もうじき、彼の命日。言葉は残っている。 https://t.co/evRJ5tMutE
「改革」ではなく、政治活動に関わる犯罪の隠蔽の制度化だからな。自民党、国民を馬鹿にして、どうせ俺たちに投票するんだろ?と思っているのだろうし、実際にそうだからな。で、腐敗した政治システムを残して悲惨な目に合うのは今は投票できない子どもたち。 https://t.co/yr8RCe21FQ
— kazukazu (@kazukazu881) June 5, 2024
10年後の「公開」は、10年になる間は「非公開」のブラックボックスが生まれるということだ。違法の疑いのある使い方も、公訴時効は過ぎているという状態。これを改革と呼べるだろいか。インチキだな。
TikTokでおなべで検索すると本人たちもそう言われること気にしていないような・・・【英語】SO, significant otherこの、付き合っている人いる?系のいい方ですが、リベラルニューヨークではSOと言います。
— buvery (@buvery2) June 5, 2024
How is your SO?
相手がゲイかもしれないし、 結婚してるかどうかもわからない、別居してるかもしれないからです。気にしすぎだと思います。 pic.twitter.com/pg9Fg9zUYi
堀先生。正論ですね。
— buvery (@buvery2) June 5, 2024
ソーカルが、事実などない、社会の認知で構成されるのだ、という構成主義の人に、
そうおっしゃっても、この5階の窓から飛び降りれば、死ぬと思いますよ
と言ったように、実際にできることとできないことがある。 https://t.co/Gmfcscm0uh
ソーカルが、事実などない、社会の認知で構成されるのだ、という構成主義の人に、 そうおっしゃっても、この5階の窓から飛び降りれば、死ぬと思いますよ と言ったように、実際にできることとできないことがある。
ソーカルってソーカル事件のソーカル?
Sokal constructivism で検索してもでてこないけど・・・どんな議論の組み立てだったんだろうね?
議論としては、実在は知覚に依存しておいるというバークレーの主観的観念論を石を蹴飛ばして知覚と関係ないじゃん、と言って「論破」したというサミュエル・ジョンソンの誤謬に似ていなくもない。
Argumentum ad lapidem – Appeal to the stone
構成主義者なら「死ぬ」ということもについても「死ぬ」という概念がすでに当該社会の様々な基準で構成されているじゃないか、と言い返すかもしれない。
性自認至上主義(トランスジェンダリズム。ウォーキズムの最も先鋭な一部分)は、結局、身体を無視して意識を全てとし、生物学的性別(セックス)を無視して文化的性別(ジェンダー)を絶対化する人間観に依拠していますね
おれの整理の仕方とちがうな。
自認する社会的性別を自認だけで公的に社会で通用させようとしているのが一番過激派のようにみえるね。
それに加えて、通用させるには、自認だけでなく、専門家の判断を介在させるもの、ホルモン注射、あるいは、身体的な手術まで必要だ、とするものなど様々なタイプがあり得る。
生物的な性別を否定するというより生物的レベルでも「男」「女」という区分は残しながらもはっきりした2分法ではなく、それ以外の範疇、あるいは、グラディエーションがある、みたい議論なんじゃないかな?
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